日本学術振興会

先端科学シンポジウム

FoS Alumni Messages No.1

「私のFoS」

入來 篤史

独立行政法人 理化学研究所
脳科学総合研究センター シニア・チームリーダー

FoS参加歴:
5th JAFoS スピーカー (第5回開催当時の新聞記事
6th JAFoS PGM
7th JAFoS PGM
1st JFFoS PGM Co-Chair
FoS事業委員会 専門委員(JGFoS 担当)


   私の FoS は、「Congratulations to be invited!」 と迎えられた、2002年 の 日米先端科学シンポジウム(JAFoS) からはじまった。以来、FoS との長いかかわりがなかったなら、いまの私は別の人であっただろう。学者として生きていることにかかわる、基本的なものの見方や考え方の多くが FoS の影響を受けていると感じる。それは、科学、学問、文化、世界、歴史、人間、自分・・・をふくむ広きにわたる。そんな来し方を順を追って思いつくままに振り返りつつ、自分と日本の科学の行く末に思いを馳せてみたい。

   冒頭の詞は、米国主催者の開会挨拶を聞いて得心した。曰く、「現代最先端科学を担う選ばれた有能な若手研究者が、学問的な交流を通して新しい学問領域を開拓創造することに資するとともに、参加者がいずれ研究機関のリーダーになった時に役立つように、国際的人材ネットワークを養成することを目的とする」。初めてスピーカとして FoS に参加した私は、この趣旨にそって懸命に活動し、この時にはじまった国内外の全く異分野の参加者との共同研究は、今なお新しい科学の創造を目指して発展をつづけている。

   翌年から2年間は JAFoS に Planning Group Member (PGM) として参加した。これを通して、制度としての FoS の凄みに震えた。プログラムの企画に伴う参加者の人選の過程で、次世代を担う有望な若手リーダー群の、研究能力や人脈や人柄までの情報が、系統的に蓄積され得るのである。米国内のFoS 出身者が、米国科学アカデミー会員の候補になってゆくことも頷ける。相手国についても同様の情報が得られるのであるから、制度をもって世界の文明化を目指す「現代のローマ人」たる米国の、国際的人材ネットワーク養成戦略の面目躍如である。

   JAFoS 本番の開催地の如何にかかわらず、毎春ハワイで行われた PGM 会議は、私の「学術外交」の原点である。セッショントピックの選定は、一種のディベート・ゲームの様相だった。1年目は、 PGM 一同とても悔しい思いのうちに終わった。米国側からの提案で、こちらは一方的に論破された・・・、と思った。2年目は、事前の英語による論争対策のうえ、前夜に入念な会議戦術をたて、完勝して溜飲を下げた・・・、と思った。この経験は、今でも様々な国際会議や国際交渉の場で活かされているのではあるが、この「闘争的外交観」は、やはり FoS を通してすぐに修正されることとなった。

   それは、2007 年に新設された 日仏先端科学シンポジウム(JFFoS) の PGM 主査を拝命したときである。フランス人の「大陸合理主義」的な PGM 会議の論の進め方は、多様な論点を包含し調整しながら結論に到達しようとする、文化的な二枚腰を発揮した。評価軸を単純化して白黒はっきり決着しようとする過去の戦略は、学問の深みの底に吸い込まれていった。会議の結論が出た後も、その背景となる哲学的検討は、東京サブカルチャーの本場で、丑三つ時すぎまで追及されつくされたのだった。学問は、文化的な相互の理解と尊重の上で、「右手で握手しつつ、左手で戦う」成熟した国際的活動であることを、実地に学んだ。

   翌 2008 年は、日英修好通商条約調印150周年記念行事の一環としての UK-Japan FoS にかかわった。当時私は、英国王立協会誌の編集委員として、この行事にちなんだ日本特集号を、JSPS ロンドンセンターとともに企画していた。丁度 FoS の事業委員会にもかかわりはじめ、これらの一連の相談と平行して UK-Japan FoS 開催の話が浮上したようである。PGM 会議は近代科学発祥の地である王立協会本部で行い、本番は日本で開催され、記念行事の一環として駐日英国大使公邸で UK-Japan FoS レセプションが行われた。各FoS の各国大使館でのレセプションの慣例はこの時にはじまり、「学術外交」としての形ができてきた。この流れのなかで、日本の歴史と文化は外交上の大きな強みであることを悟った。近代科学の発達した文化圏で、日本ほど伝統の長い国は希なのだ。

   2008 年から現在までは、事業委員会で 日独先端科学シンポジウム(JGFoS) 担当の専門委員の立場で参加している。ドイツ人とは、両国の社会性が親しみやすいせいか、または日本の学制がドイツを範としていたせいなのか、あるいはお互いに外国語である英語を使う会議であるせいか、両国参加者の相性がとても良い。とくに、対等に向かい合い、互角に議論する、若い日本の参加者を頼もしく感じる。単に英語のスキルの向上だけではない、科学的な話す中身の裏付けによる自信と、それによって相手を尊重する余裕の表れだろう。この上に、さらに国際人としての日本人の見識と誇りが備われば、日本の学術の未来は明るい。

   私は FoS とのかかわりを通して、学者としてどの世界に生きるのか、人間としてどの時間に生きるのか、を獲得しつつある。日々の実験や成果発表による直近の業績評価に追われるなかで、このような人生の本質を見つめる時間を認めることができる FoS 参加者は、まだ少数派なのかもしれない。その意味では、FoS は「知的香辛料」である。その味わいは、判る人々のみが密かに共有し、共に生涯にわたり楽しむことができる、時代と国境を超えた、世界人学者の存在証明でもあるのかもしれない。しかし、世界から尊重される国の品格、人類に貢献する学問の品位はここから生まれる。次代を担う若手研究者が、遍くこの機会を活かす契機を得られつづけられることを祈る。