日米先端科学シンポジウム

第5回シンポジウムに係る記事

 
   
   
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  掲載記事中の見出し(抜粋)

  • 学振・NAS「日米先端科学シンポジウム」5回目数える
  • 気鋭の若手研究者が切磋琢磨
  • 異分野間で討論、人文社会系も参加
  • 「まだ見ぬ領域」誕生の予感
  • 研究者間のネットワーク築く
  • 期待に応えた日本側スピーカー
 
掲載記事(要約部分)
 日米先端科学(JAFoS)シンポジウムは、将来の学術を展望し、日米の新進気鋭の若手研究者が異分野間での最先端の科学について討議することで、 新しい学問領域の開拓に資するとともに、国際的な人材を育成するもの。昨年十二月六~八日、全米科学アカデミー・ベックマンセンター(カリフォルニア州アーバイン)で第五回目が開催された。そのもようを紹介する。
 
45歳以下(以下、記事本文)
 全米科学アカデミー(NAS)は、四十五歳以下の若手研究者で新進気鋭のリーダーとなっている者を集め、多岐にわたる分野での最先端の話題について議論を進める場として、先端科学(FoS:Frontiers of Science)シンポジウムを一九八九年以来毎年開催している。シンポジウムには、学術機関、企業研究所、国立研究所で天文学、天体物理学、大気科学、生物学、化学、コンピューター、地球科学、工学、材料科学、数学、物理学等の分野で基礎研究に携わっている若手研究者が参加している。同シンポジウムでは、若手研究者が自らの研究についてより大きな流れを見いだし、分野横断的な新たな研究領域を開拓し、研究者間の人的ネットワークを形成している。
 日米先端科学(JAFoS)シンポジウムは、一九九六年八月の中川秀直・科学技術庁長官(当時)訪米時の、ブルース・アルバーツ・NAS会長との意見交換に端を発し、その後アルバーツ会長から中川長官あての書簡において提案されたもので、第一回は一九九八年八月に米国カリフォルニア州アーバインにおいて、第二回は一九九九年十月に茨城県つくば市のつくば国際会議場において、第三回は米国カリフォルニア州アーバインにおいて、NASと科学技術振興事業団(JST)の共催で行われた。また、省庁再編に伴って平成十三年度から日本学術振興会(JSPS)に移管され、JSPSとNASとの共催で第四回目が東京・お台場の東京国際交流館(国際研究交流大学村)で開催された。
 なお、同様な二国間のシンポジウムは、一九九五年からは独米間で、一九九八年からは中国―米国間で企画開催されている。
 シンポジウムの形態は、日本側、米国側の参加者が一堂に会し、三日間を通し八つのセッションについて一つの会場で討論を行う。一つのセッションは二時間でチェアと二人の日米のスピーカーにより異分野の研究者にもフォローできるような内容で一人二十~三十分程度で発表され、なるべく多くの時間を討論に当てられるように配慮されている。

多彩な話

 第五回目となる今回のシンポジウムは、生物学、神経生物学、数学・応用数学・社会科学、化学、地球科学、物理・応用数学という五六分野八セッションで行われた。日本からはセッションリーダーとして五人、チェア、スピーカーとして九人、また十七人が一般参加者としてシンポジウムに臨んだ。また米国側は全部で二十九人が参加した。
 日本側スピーカーとしては、岡本仁・理化学研究所脳科学総合研究センター発生遺伝子制御研究チームリーダーが生物学分野の「遺伝ネットワーク」について、岡野栄之・慶應義塾大学医学部生理学教室教授が「再生医療」について最新の研究成果と研究動向などについて分かりやすく説明、参加者と活発にディスカッションを行った。
 また、神経生物学分野では、入來篤史・東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科顎顔面頸部機能再建学系教授が「記憶と学習」をセッショントピックスに、社会科学分野の「社会秩序の進化」については、太田勝造・東京大学大学院法学政治学研究科教授が、化学分野では小林修・東京大学大学院薬学系研究科分子薬学専攻教授が「分子触媒」について語り、活発に議論した。
 さらに、地球科学分野では、木本昌秀・東京大学気候システム研究センター教授による「大気水蒸気対流」、井出哲・東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻講師の「地震」、応用数学分野の山本量一・京都大学大学院理学研究科物理学宇宙物理学専攻講師による「複雑系におけるスローダイナミクス」など、多様な分野で多彩な話題が提供された。

試行錯誤

 こうしたスピーカーに求められるのは、最先端の研究成果や研究動向をかみくだいて、異分野の参加者にも分かりやすく説明することである。そうした説明に挑戦することは、自分の研究を多様な観点で捉え直すこととなり、その結果、新しい研究の視野を切り開くことができるようになる。今回の日本側スピーカーは十分その要請に応えることができていた。
 米国側のスピーカーも同じセッショントピックスを違う側面から語り、一つの課題でも見方やとらえかたによって、かなり異なるアプローチがあることを多くの参加者が感じることとなった。
 また、セッションがいかに盛り上がるかは、チェアの手腕にかかっている。チェアには、まずセッションの導入で、分野の異なる参加者に最低限の知識を与えるとともに興味を喚起し、討論では、スピーカーと参加者の橋渡しとして、考え方の異なる両者のずれを調整しつつ共通のテーマを提供するといった、バランス感覚が求められる。日本側では、大熊毅・名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻助教授(「分子触媒」)、佐藤嘉倫・東北大学大学院文学研究科教授(「社会秩序の進化」)が柔軟にその責任を果たしていた。
 こうした異分野の最新の研究動向をひとつのシンポジウムにまとめる上で、非常に重要な役割を担うのはセッションリーダーである。セッションの構成を担当するセッションリーダーは、最先端のセッショントピックスを選定し、最適なチェア、スピーカーを人選することから始め、チェアやスピーカーをリードし、参加者同士の意思疎通を図るために専門用語を分かりやすい共通的な用語に置き換えたり、論理の組み立て方の違いなどをアドバイスする。
 日本側のセッションリーダーは、大内幸雄・名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻化学系助教授、河西春郎・岡崎国立共同研究機構生理学研究所生体膜研究部門教授、向川均・京都大学防災研究所大気災害研究部門災害気候分野助教授、佐藤嘉倫・東北大学大学院文学研究科教授(チェア兼務)、常行真司・東京大学大学院理学系研究科物理学専攻助教授が担当した。
 上述のようにこのシンポジウムは、通常の学会とはその趣を異にする。ゆえに誰もが手探りの状況の中で、試行錯誤してシンポジウムを作り上げたが、これを成功に導いた彼らの苦労は大変なものであっただろう。

広い視野

今回の最大の特徴は、これまで自然科学系の学問だけを対象としていたJAFoSに社会科学を盛り込んだということである。省庁再編でJSTからJSPSに移管されたのは前回からだが、企画自体はその前年度から継続されたため、第四回は自然科学系のみで行われた。人文社会系の学問が盛り込まれたことで、参加者の視野はさらに広がることになった。
 また、JAFoSは通常セッションだけでなく、ポスターセッション、アフターディナー・プレゼンテーション、各人が自由に相手と議論できるインフォーマル・ディスカッションなど多くの議論の場が設けられている。それに加えて、例えば今回で言えば、ホープ・ナショナルメディカルセンターやノートン・サイモン博物館の視察など、実際に異なる分野・異なる文化の研究現場を見ることで、異分野への理解を深める試みも行われている。
 通常では出会うことはない様々な研究分野の若手研究者達が、このシンポジウムを機に一堂に会し、お互いに触発し合うことで、彼ら自身にあるいは、学術の進展にどのような影響を与えるかは、想像の域を出ないが、その期待は大きい。
 少なくともJAFoSに参加する研究者は、世間一般で批判されている、いわゆる専門馬鹿ではなく広い視野を持った指導的研究者に育っていくことになるだろう。
「科学新聞」6面
2003年3月7日(金)
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JAFoSシンポに参加して
「新しい科学者像」胸に未来を見据える米国の戦略
「日本人独自の世界観を」

   

東京医科歯科大学教授 入來篤史氏

 「Congratulations to be invited!」というのが、レセプションでの参加者同士の挨拶だった。米国科学アカデミーの開会主旨説明を聞くと、その理由もうなずける。「現代最先端科学を担う選ばれた有能な若手研究者が、学問的な交流を通して新しい学問領域を開拓創造することに資するとともに、参加者がいずれ研究機関のリーダーになった時に役立つように、国際的人材ネットワークを養成することを目的とする」というのである。

 その、アメリカ人らしく率直な言葉に、日本人としてはいささか気後れしつつも、アメリカの未来を見据えた科学的世界戦略の力強さを感じるとともに、このいかにも自然な高揚感には、ある種のなつかしさをも覚えた。

 この会に集い、これからのアメリカ科学界を率いるのは、一九六〇年代のいわゆるスプートニク・ショック直後の、ケネディ・ジョンソン政策下に小学校教育を受けた世代である。私も、このころ二年ほどアメリカの小学校に在学する機会があったが、そこでは、「君たちは、科学を通して世界のリーダーになるのだ」ということを徹底的に教育された覚えがある。

 あの高揚感、使命感、エリート意識がこのシンポジウムの企画者・参加者の潜在意識の底に、脈々と流れているに違いないと感じた。昭和の戦後理科教育の中で育ったわれわれ日本の科学者には、容易には計り知ることのできない素地が、そこにはあるのかもしれない。

 このような彼らの態度には、古来の「貴族や富豪のパトロンの庇護下の孤高の科学者」から脱却して、「社会資本や公的資金に立脚した社会現象としての科学の担い手」としての、新しい科学者像を目指す戦略が感じられる。したがって、自分の狭い研究分野に特化した、職人的名人になろうという発想とは全く無縁なのだ。このシンポジウムでの興味や議論の対象が、自然科学の諸領域は言うに及ばず、経済学・政治学・歴史学や文学・哲学にまで広がって行くのは、当然の成り行きであった。

 このような、各人の人格の琴線に触れる議論を通して培われ、共有されることになる、価値観や、倫理観、美意識といったものが、ここで形成される人材ネットワークを通して、やがて世界を主導することとなってゆくだろうと目論むのは、ごく自然なシナリオなのであろう。

 このような米国的な価値観が、「正しく良いものである」とは必ずしも言えないかもしれないが、その善し悪しについて議論するためには、独自の歴史観・社会観に根ざした確固とした対立概念を持つことが不可欠だ。

 確かに、この場に居合わせた日本人参加者の英語能力や、対論能力は素晴らしかった。ついこの間まで、私たちが学生の頃見聞きした国際学会での先輩達の英語とは、誠に失礼ながら、隔世の感がある。

 しかし、われわれの世代は、日本人として見失ってはいけない独自の世界観に立脚した評価軸を、持っているのだろうか。異分野間の討論のためのテクニックや、レトリックではなく、もっと根元的な命題が、実はわれわれの未来を決定する要因であることに、改めて気づかされたシンポジウムであった。

「科学新聞」6面
2003年3月7日(金)