日本学術振興会

日英先端科学シンポジウム

日英先端科学(UK-Japan FoS)シンポジウム実施報告

  Organizing Committee Member 日本側主査
東京大学 大学院医学系研究科 認知・言語神経科学分野
准教授 坂井 克之
   
 
FoS概要
   先端科学(Frontiers of Science, FoS)シンポジウムは二国間でさまざまな研究領域の若手研究者が一堂に会し、数日間にわたって缶詰状態で討論を行うきわめてユニークな催しである。参加者は推薦と公募によって選ばれた45歳以下の独立した研究者である。日本側は日本学術振興会が主催し、2008年の時点で日米で11回、日独で5回、日仏で3回を数える。2008年はこれらに加え日英修好通商条約調印150周年を記念する「UK-Japan 2008」の一環として、英国王立協会との共催で日英先端科学シンポジウムが行われた。
   最初に7つの研究領域が主催者側で決定され、それぞれの研究領域について日英1名ずつの組織委員が委託された。前年の12月に日本側の委員が渡英し、英国委員とトピック選定会議を行った後、参加者の人選を日英双方で協議しながら行った。そして本番のシンポジウム、10月4日~6日の3日間にかけて神奈川県葉山町の湘南国際村センターにおいて、日英あわせて約70人の研究者が集まった。各トピックにつきチェア1名、スピーカー2名が20-30分程度ずつの発表を行い、その後で1時間にわたって参加者全員で議論を行った。
 

生物・生命科学
Biology/Life Science

嗅覚とフェロモン
Olfaction and Pheromonal Communication in Vertebrates

化学・生化学
Chemistry/Biochemistry

自己組織化材料
Self-assembling Materials

地球・環境科学
Earth Science/Environment

クラゲ
Frontiers in the Plankton: Jellyfish Ecology

材料・生体材料科学
Material/ Biomaterial Science

バイオインスパイアード材料
Bio-inspired Approaches to Advanced Materials

数学・情報科学
Math/Applied Math/Informatics

交通ネットワーク
Transport Networks

医学・神経科学
Medical/Neuroscience

精神の遺伝子基盤
Genetic Basis of Cognition

物理・天体物理学
Physics/Astrophysics

ガンマ線バースト
Gamma-ray Bursts

 
   なんといってもこの会の特徴は、かけ離れた異分野の研究者が議論を交わすことにある。この会議の目的として私自身は3つのことを考えている。ひとつは異分野の知識の獲得である。現在、科学は細分化されそれぞれの方向にすさまじい速度で進展しており、他の分野ではどのようなことが最先端になっているのかを知ることは困難になってしまっている。本を読んで理解するよりも、なまの発表を聞いて議論するほうがより理解を深めることができる。ただし3日間ですべてを理解することは不可能であろう。またこの会議でその領域のすべての話題についての知識を得ることは不可能である。
   そこで二つめの目的となるのが異分野の論理の理解である。個別の知識ではなく、異分野の研究者の考え方をより高い次元で理解することが目的となる。たとえば計算と理論に基づいた確信のもと大掛かりな実験により根源的な原理を見出そうとする領域、地道な実験を無数に積み重ねることによって真実に近づいてゆく領域、発想の転換により新たな技術を生み出すことで熾烈な競争を繰り広げる領域、といったようにそれぞれの分野の研究の実際の姿を知ることを通じて、領域間での予算の取り合いといったレベルから脱し、幅広い視野をもった研究者が育ってゆくきっかけとなることが期待される。
   この会の三つめの目的は、異分野の研究者を知ることにある。本や論文を読むだけではなく、じかに話すことのよさは、わからないことを直接聞けるというレベルの問題ではなく、相手と直接話すことによって生まれる親近感を通して他の分野に対する理解が促進される効果があると私は考える。いかなる研究であれ人間の営みである以上、人を知ることは重要な一歩になると思う。
 
実際の様子
   以上が理念、そして以下が現実。10回以上の経験がある日米とくらべて、一回限りの予定で行われた日英のシンポジウムでうまく研究者同士の交流が図れるのか、という不安がまずあり、英国の形式重視の姿勢や独特の英語の聞き取りの困難さなども不安材料ではあった。しかもこのシンポジウムでは参加者の共通認識の根拠となる専門用語すら共有されていない。
   実際、初めて参加した研究者たちは専門外の分野で行われている研究の進み具合、あるいは発想の違いにまず呆然とした。だが話が進むにつれて次第に引き込まれてゆく。それとともになぜ、どうして、といくつもの疑問が浮かんでくる。これが各セッションの後半約1時間に設けられた討論時間に爆発する。常に10人近くの手が挙がり、質問に対する答えがさらに質問を呼ぶ。日本人の参加者からの質問がやや少なめなのはいつものことではあるが、これについては私はそれほど悲観していない。議論を通した二国間の交流という意味では、なるほど、まだまだ改善の余地があるが、質問できなくともわくわくしながらやりとりを聞いている様子ははっきりうかがえた。セッションが終わるごとに、おもしろかった、こんな会はこれからもぜひ参加したい、との声が多く聞かれたのは幸いであった。私自身も最初は圧倒されるだけであったが、次は見てろよ、と思ったものである。
   シンポジウム全体を通して、全く知らないうちに他分野では研究が思いもよらない方向にこんなにも進んでいるのだということ、そしてそもそも研究の論理がこんなにも違うということを知り、同時にそれでも研究者は皆同じように苦労し、新しい発見に同じように喜びを見出しているということがよく理解できた。会場の画面に映し出されるクラゲの映像を子供にかえったように見つめる研究者たち、10の47乗とはどの程度の数字なのか理解しようと眉間にしわを寄せる研究者たち、自動車が轢いてもこわれないゲルを大口を開けて見つめる研究者たち。その姿は国籍、分野を問わず共通の姿であった。
   会の最終日の夜には英国大使館での歓送会が行われた。大使館はスーツ着用とのことで、近くのホテルのトイレで普段のラフなスタイルからスーツ姿へと変身し、千代田区一番町の一等地に立つ白亜の堂々とした建物、緑の芝が広がる庭、高い天井にシャンデリアを堪能した。この場所だったら坪単価はいくらだとか、うちのローンはいくら残っているなどと、とりとめのない会話を楽しみながらグラス片手に庭園を散策した。英国大使館への招待が本会議のメインイベントであると思っているヒトもかなりいた。欲を言えばディナーと聞いていたのに立食で、しかもつまみだけしかなかったことであろうか。でもねえ、みんな、これが、英国なんだよ。とにかく大使館でひとときを過ごしたというだけでも皆の満足度はきわめて高かった。研究者も所詮ミーハーなのだ。日本人、英国人を問わず。
 
今後の課題
   満足しているだけでは進歩はありえない。そこで今後是非行う必要がある3点を以下にあげたい。まずはいかにして研究者の意識改革の裾野を広げるかである。このような異分野間の交流は若手のなかでは好きな人間が多い。ただし一方ではこんな会に参加する暇があったら実験をして論文を書け、と考える研究者がいるのも事実である。日本の研究者は他国に比べて他分野に対する関心が低いと感じる。受験勉強の続きのような感覚で研究を続けていくことが本当に科学なのだろうか。いかなることにも、なぜ、と問いかけることが研究者としての本質なのではないだろうか。ただし、この会に参加することで時間をとられてしまうとぶつぶつ言っていた人も、実際の会議では思わず異分野の最先端の話に引き込まれていった。かなりの数の若手研究者にとってFoSが視野を広げるきっかけになっているのは間違いがないことだと思う。
   二つめの課題として挙げられるのは、このような試みの成果をどのように判断するかである。異分野交流の成果は研究者の意識改革であって、これは無形のものであり、また長期的なものである。視野が広がったからといって各人の論文数がすぐに増えることはないだろう。またこの会を通じて共同研究が成立した、というのは他の専門学会における出会いに基づく共同研究の成立件数にくらべれば低いものであろう。天体物理と医学の共同研究のようなものが成立したらすごいことだが。このFoSの目標は、幅広い視野を持った未来のリーダーを育成する、とされている。現状は、他分野に対する理解が一切なくてもリーダーになれる。むしろ自身の分野を強力に拡張することがリーダーの条件であると考え、また各専門学会もこれを支持するのであれば、これは次元の低い政界の争いと変わらない。ではどのような形で無形の成果を評価するのか。この会の理念そのものの発信が強く望まれる。
   そこで三つめの課題として一般社会への周知を挙げたい。このFoSは研究者の間では知る人ぞ知る会となりつつあるが、一般のヒトにはまったく知られていない。この会に一般人も参加させよということではなく、もう少し噛み砕いた形で異分野間の対談などを紹介する機会が別にあってもよいのではないだろうか。科学者がバランスの取れた見方のできる人間として成長することは、論文の数が多少増えることよりも社会的には強く求められることではないだろうか。
   なすべきことはさまざまな形で残っているとはいえ、現実は、事務担当者の八面六臂の活躍でようやく可能になっているに過ぎない。もちろんこのままでもすばらしいものとは思うものではあるが、科学のあるべき姿を現実化するためには組織、制度としての進展が不可欠である。社会という外圧がなければ制度が大きく変わることはない、というのは世の常である。社会からの評価という軸がなんらかのかたちで取り入れられ、またアピールできるならば科学全体としての底上げになるのではないかと思う。
 
おわりに
   研究者の意識改革という無形の成果を得ようとする試みを、日本学術振興会のような公的研究支持母体が行っていることは感動すら覚えます。感謝いたします。また無形の成果の受け取り手であると同時に、その担い手でもある組織委員、チェア、スピーカー、そして参加者の皆さんに感謝申し上げます。
 
記念写真
記念写真
     
開会式で挨拶する坂井准教授
開会式で挨拶する坂井准教授
     
セッションでのディスカッション セッションでのディスカッション
セッションでのディスカッション
     
ポスターセッション
ポスターセッション