日本学術振興会

先端科学シンポジウム

FoS Alumni Messages No.16

「なぜFoSにハマるのか? -卒業後も消えないFoSの後味-」

堀川 一樹

堀川 一樹

徳島大学 大学院医歯薬学研究部 教授

FoS参加歴:

8th Japanese-German Frontiers of Science (JGFoS) symposium参加研究者
9th Japanese-German Frontiers of Science (JGFoS) symposiumPGM
10th Japanese-German Frontiers of Science (JGFoS) symposiumPGM


   私は第8-10回の日独先端科学(JGFoS)シンポジウムに参加する機会をいただいた。すでに多くのPGM(Planning Group Member)が述べられているとおり、FoSの醍醐味は参加しなければわからないのだが、ここでは皆さんに習ってFoSの面白さを述べるとともに、なぜFoSにはまってしまうのか。その怖さ(笑)を私の個人的な視点からつつみかくさず紹介したい。

出会い
   会議に出会いはつきものである。しかし、FoSでの出会いはいつものそれとは全く異質である。そこで出会うのは、いずれも突き抜けた研究者たちである。彼らや彼女らは、とにかく話がうまい。それも尋常ではないレベルで。個々の研究の面白さや新しさをホームグラウンドでプレゼンする機会は多々あるが、FoSでは参加者のすべてが異分野という完全アウェーななか、ホーム以上のパフォーマンスが求められる。つまり、いつもは通じる言葉が伝わらないという縛りの中で、最新の話題のもっとも深いところまで踏み込む必要があるのだ。入り口を間違えると、誰もついてこられず場がしらけてしまうし、うまくいっても予想だにしない切り口で核心についての質問が容赦なく飛んでくる。一瞬たりとも気を抜けない昼セッションが無事に終わろうとも、素粒子論や社会学のネタを肴に夜な夜な議論が続く。ただでさえクソ忙しいのに、そこまで必要ないって思いませんか。そう思っていた口でしたが、すぐにこうした議論の中毒になってしまう。渦の中心にいるレジェンドたち、つまりPGM主査として君臨した谷本浩志さん(第8回)、若宮淳志さん(第9回)、中家剛さん(第10回)たちが醸し出す雰囲気がそうさせるのである。もう、このへんは人としての「でき」が完全に違う。全てがスマートであり、発せられる一言一言がかっこいい。そして底なしに明るい。だから引き込まれてしまう。こんな出会いは人生でもそうそう味わえるものではない。レジェンド達にあてられて、ついついこちらもアドレナリンがでてしまう。ポツダムのレストランで幾度となく「Quiet, please!」とお店の人に怒られるほどに熱く議論したことが思い出されます。

3回の関わり方の変遷
   私はレジェンド達のように、なんでもできるわけではない。堅ぶつだし、コミュニケーションも好きなほうではない。そんなわたしが3回も参加させてもらえたことは光栄なことである。1回目は参加者として、2-3回目がPGMとして関わったが、そのすべてが全く異なる関わり方であったのがFoSの面白さであり怖さであろう。議論の盛り上げ役でいい1回目は気楽なものだった。異分野の話を純粋に楽しみ、議論に参加するうちにあっと言う間に会議は終わっていた。しかし、その直後から状況が一変する。次回向けのPGM会議にて作る側としての関わりがスタートすると、いきなりハードルが上がるのだ。ここでは次回のセッショントピックスについて議論がなされるが、その実態はドイツ側PGMの提案するネタとの戦いであり、全分野のPGMとJSPS先端科学シンポジウム事業委員を前にしての品評会である。幾つかのネタの候補をあたかも自分が最も詳しいかのようにプレゼンするわけだが、次期会議@ポツダムでPGM主査を務める手練のTobias Moser氏が相手となれば彼の提案が採択されるのは当然の結果だ。いいしれぬ敗北感のなか、決まったテーマでの準備が始まる。スピーカー候補の選定、事前検討会、勝手分からぬ中でもがくうちになんとかセッションを終えることができてもなぜか完全燃焼した気にならない。そう、前年のセッショントピックス選定での敗北を引きずっているのだ。これがFoSの怖いところで、よせばいいのに2度目のPGM会議に臨んでしまう。幸い、次回のセッションを自ら提案したネタでオーガナイズできる喜びを勝ち取る。発表前夜の打ち合わせで、ドイツ側参加者の一人は京都観光に出かけるから打ち合わせをすぐ終わらせよう、なんて意見をなだめるなど、いくつものハードルを乗り越えて準備したセッションが盛況のまま終わる。この全てを味わってようやくPGMとしての満足感が得られたのである。

FoSの呪い(?)
   本稿では、FoSに参加することの楽しさを書けと言われている気がするが、あえてFoSへの参加することの(個人的な)苦しさをメッセージとして残したい。私はバカがつくほど真面目である。そんな私はFoSにおいて人だけでなく学問的にも強烈な刺激を受けた。どのセッションも、本当に大事な問題を一からわかりやすく解説してくれるので、学術的に深淵な議論へ引き込まれる。この経験がじわじわと私の研究人生に深刻な影響を与えることにAlumniになってから気づかされた。つまり、私自身の研究にFoSでの学びがあれやこれやとちょっかいをだしてくるのだ。個々の専門分野では評価される仕事であってもFoSでの見方は全くちがう。分野という垣根を越えなお、問いの本質さ、アイディアの革新さ、結果のクリアさがあるのか、それまで以上に深く考えさせられるのだ。こうなるともう暗黒時代の始まりである。それまで楽しくやれていたことが楽しくなくなってしまう。一見それは不幸なことに思えるが、長い目で見ればこれこそがFoSに参加する真のご利益なのだろう。科学者としてフロンティア開拓する精神を履き違えていないか。その問いはマッチポンプになっていないか。常に自問自答させられる。幸いなことに、今の研究は楽しくてしょうがない。特に現在投稿中の論文は、3回のJGFoSでの強烈な体験が濃縮されたものとなっている。ライフサイエンスの研究にあって、扱っているのは地球科学セッション(第8回)で話題とされたEddy(渦)の問題であり、その核心はPhysicsセッション(第8回)でも扱われた「自発的対称性破れ」の問題でもある。化学セッション(第10回)で議論された光を使った計測と操作を駆使し得られた結果は、概念的には社会科学セッション(第9回)で議論されたMigrationや生命科学セッション(第10回)で取り上げたパンデミックの駆動力そのものであり、それは情報科学セッション(第8回)で議論された流体にも通じるものである。Alumni として4年が経過し、あともうすこしでFoSでの掛け声である「What’s New」の呪縛に対し自分なりの答えの一つが出せそうにあることを思うと、FoSには感謝しかない。こんな異分野融合なネタを受け入れてくれるジャーナルがなかなか見つからないのは深刻な問題ではあるが…

ぜひPGMを!
   参加のしかたや楽しみ方はそれぞれであろう。それでも、「レジェンドたちとの出会い」と「What’s New」の掛け声は、FoSへの参加にもれなくついてくる。PGMとして困ったことがおこっても、JSPSの皆さんならびにJSPS先端科学シンポジウム事業委員会の大先生方が必ず助けてくれるので大丈夫。興味を持った方、声がかかった方は臆せず参加して欲しい。FoSの楽しみと苦しみ(笑)を共有できるあらたな仲間が加わってくれることを心待ちにしています。


【第8回JGFoS】   【第9回JGFoS:生物学セッション】

【第8回JGFoS】

 

【第9回JGFoS:生物学セッション】

【第10回JGFoSに向けたPGM会議】   【第10回JGFoS】

【第10回JGFoSに向けたPGM会議】

 

【第10回JGFoS】