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私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.53(平成25年6月発行)

「水中考古学による蒙古襲来(元寇)研究と科研費」

琉球大学・法文学部・教授 池田 榮史先生
池田 榮史
琉球大学・法文学部・教授

 平成23(2011)年10月のある日、私は長崎県松浦市鷹島の南海岸から200mほど沖合に位置する水深約23mの海底にいた。鷹島の南海岸を含む伊万里湾一帯は蒙古襲来(元寇)の舞台の一つとして知られており、1281年に起った弘安の役で沈没したとされる元軍船を探していたのである。伊万里湾には周辺から流れ込んだ泥土が厚く堆積しており、その堆積速度は100年間で約10cmとされる。であれば、約70cm前後の泥土を掘り下げれば当時の海底面に到達するはずである。しかしながら、発掘した泥土は濁りとなって巻き上がり、ひどくなると周辺の視界は50cm以下となる。このため、発掘作業に従事するダイバーからは木材などの手触り報告が得られていたにも関わらず、掘削面全体をなかなか視認できない状態が続いていた。

 そんな中、この日ばかりは海上の風向きと潮の流れが味方したのか濁りが流れ去り、水中発掘を進めていた10m×10m範囲の調査区全体が一望できる状態が出来(しゅったい)した。そこには調査区のほぼ中央東西方向に伸びる幅約50cmの竜骨(船底中央の木材)を中心として、竜骨の南北両脇に整然と並ぶ外板(船底材)、およびその上に散乱する大量の磚(陶製煉瓦)の山がはっきりと姿を見せていたのである。長年におよぶ鷹島海底遺跡調査の中で、初めて蒙古襲来(元寇)の際の沈没船にたどり着いたことを確信した瞬間であった。

 振り返ると、鷹島海底遺跡が蒙古襲来(元寇)関連遺跡として認知されるきっかけとなったのは、昭和51〜54(1976〜79)年にかけて文部省科学研究費特定研究に採択された「自然科学の手法による遺跡・古文化財等の研究」(研究代表者江上波夫)に関連して実施された茂在寅男らによる調査である。この調査を契機として、昭和56(1981)年に鷹島南海岸7.5kmの沖合200mの範囲が蒙古襲来関連海底遺跡として法的に周知化された。その後、平成元〜3(1989〜1991)年には科学研究費総合研究(A)に「鷹島海底における元寇関係遺跡の調査・研究・保存方法に関する基礎的研究」(研究代表者西谷正)が採択され、音波探査装置や水中カメラを用いた調査が行なわれた。これらの調査研究は音波探査装置などを用いる物理学的研究と潜水を伴う水中考古学研究の連携を図る試みであり、科学研究費の採択によって水中の遺跡に対する文理融合型研究の可能性および研究方法の探求が図られたのである。

 このような先行研究を発展的に継承するため、私も平成18〜22(2006〜2010)年度の科学研究費基盤研究(S)に「長崎県北松浦郡鷹島周辺海域に眠る元寇関連遺跡・遺物の把握と解明」を申請し、採択を受けた。この研究では急速な機器改良に伴う世代交代によって精度が格段に上昇したDGPS(全世界高精度測位システム)や音波探査装置を導入し、伊万里湾全域の詳細海底地形図および地質図を作成した上で、これを分析して蒙古襲来(元寇)関連遺物が埋もれている可能性が高い地点を選び出した。そして、その中の一つについて試掘を行い、採択期間最終年度に沈没船の一部と思われる木材の並びとその上に散乱する磚を検出したのである。しかし、この時の調査範囲は5m四方と狭く、検出した木材が用いられた船の部位や沈没船の構造、大きさなどを明らかにすることができなかった。そこで、縋るような思いで、再び平成23年度科学研究費基盤研究(S)に「水中考古学手法による元寇沈船の調査と研究」を申請し、調査研究の継続を訴えた。幸いにも平成23年度から5年間の研究採択が認められた結果、冒頭に述べた元軍沈船の発見へと繋がったのである。

 地上で行う調査とは異なり、水中遺跡の調査では潜水そのものに技術的熟練が必要となる。加えて、水中で使用する調査機材とこれを用いる技術や手法を修得しなければならない上に、調査に要する予算は数十倍となる。これらのこともあり、水中考古学は多くの研究者からは縁遠い分野となって敬遠され、これが研究の進展を阻害する要因となっていた。今回、元軍船発見という成果が得られたことにより、このような先入観が払拭され、水中考古学研究とともに日本列島周辺の水中遺跡に対する人々の関心も高まりつつある。科学研究費による長年の貢献によって、やっと水中考古学研究の世界が社会的に着目される状況を生み出したのである。極言すれば、科学研究費によるこれまでの貢献がなければ、今回の元軍沈船の発見はなかったとも言える。私たちはこのことを自覚しながら、残る採択期間中の調査・研究によって、さらなる成果が得られるよう邁進したいと思う。暴風雨によって壊滅したとされる元軍船団は4400艘で構成されており、発見した沈没船はその中の1艘に過ぎない。残る4399艘はまだ伊万里湾の海底に埋もれたままのはずであり、その把握が進まない限り、蒙古襲来(元寇)研究の新たな進展は望めないのである。

※所属・職名は執筆時のものです。

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