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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.43(平成24年8月発行)

「研究者の喜びと落ち込み」

首都大学東京・学長 原島文雄先生
原島 文雄
首都大学東京・学長

 研究者として喜びと落ち込みを定期的に経験することが二つある。一つは、誠心込めて書いた学会論文の採否の通知である、二つ目は、例年5月の連休前後の科研費の採否の通知である。いずれの場合も、採択された時は、しばらく機嫌がよいが、不採択のときは、すっかり落ちこみ、研究室や家族など周辺の人にまで影響を与える。双方とも、採否はピアレビューによるところが特徴である。ピアレビューの与える緊張感は、研究の最大の推進力である。

 1967年大学院博士課程を終え、東京大学生産技術研究所助教授となった最初の年にわずかながらの科研費 (奨励研究費?) をいただいた覚えがある。以来40数年、新しい研究を始める際には、必ずといってもいいほど科研費をいただいた。その間、研究テーマも制御工学、パワーエレクトロニクス、メカトロ二クス、ロボティクスと重複しながらも解析接続的に変わっていった。最後の科研費による研究は、2010年に終わった。70歳を超えていた。

 私の研究費は、大別して3種類ある。第一は、新しい研究を始めるときの科研費、第二は、主としてプロジェクト研究に使われる科研費以外の公的研究費、第三は、民間からの研究費である。これらは、それぞれ異なる価値観のもとに選考される。多様な価値観をもった多様な研究費は、研究の多様性をささえている。Diversity(多様性)こそが、新しい研究の生みの親であると思う。

 1970年代の半ば、科研費で始めた研究の成果を論文として自信を持ってIEEE Transactionsのひとつに投稿したところ、reject されたことがある。当時はインターネットもなく、reviewer とのやり取りも Air Mail である。何回かのやり取りの後、研究の内容というより研究の方向性に関する議論となり、掲載はあきらめた。しかしながら、この件は、私の人生に大きな影響を与えた。当該Society のリーダーになって、学会の動向を自分で決めようと思ったのだ。少々時間はかかったが、1980年代半ばには、Society President になった。北米以外から出た最初の IEEE Society President とのことだった。その際、なにか手段と目的を混同したような感じにとらわれたのを覚えている。President としてSocietyの研究方向をリードするとともに、Transactions Editor-in-Chiefを務め、二つの新しい Society の設立に関与、一つの新しい Transactions を創設し、 Founding Editor-in -Chief を務めた。さらに、IEEE 全体のSecretary まで務めた。

 写真は、IEEE Industrial Electronics Society Magazine が2010年4月に発行した“Fumio Harashima 特集号”の表紙である。編集局からは、大学の教授室で本棚を背景としてデスクに座っている写真を希望してきたが、あえて“天橋立”を背景としてラフな服装の写真にしていただいた。実は、この前年、交通事故で頸椎を損傷し、まともに背広・ネクタイというわけにはいかなかったのである。胸につけているボールペンのみが、教授らしさを表している。

 科研費をきっかけとして人生は大きく展開する。

※所属・職名は執筆時のものです。

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