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科学研究費助成事業

制度概要

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.36(平成24年1月発行)

「科研費をとおして」

九州大学・法学政治学研究科・教授 元日本学術振興会・学術システム研究センター・社会科学主任研究員 河野 俊行先生
河野 俊行
九州大学・法学政治学研究科・教授
元日本学術振興会・学術システム研究センター・社会科学主任研究員

 タイミングが一日遅れたため家の購入価格が数百万円上がってしまった、という体験談が珍しくなかった時代に、私は研究者生活を始めることになった。とにかくバブル最盛期である。巷は景気のいい話であふれて、大学にも寄付などの形でおこぼれが回ってくるような、今思えば信じがたい時代であった。そんな時代のある日、着任早々の私の研究室を年長の同僚が訪ねて見えた。この同僚は「大学の価値は図書の充実にかかっているんです、そのためには科学研究費を着実にとらねばなりませんよ」と昏々と私に説いて帰って行かれた。規模が大きい大学にはそれなりの図書の蓄積があるのだが、この同僚は、それに寄りかかるのではなく、むしろ一層充実させるべく、せっせと古書を購入されていたのだった。そんなものかと、当時の駆け出し研究者向けの科研費であった奨励研究(A)に応募してみたら採択されてしまい、急に一人前の研究者として認められた気がして嬉しかった。その後のバブル崩壊で民間財団は低金利にあえぎ、また大学の予算カットの恒常化ゆえに、科研費は今や研究に欠かすことができないものであるが、この同僚のおかげで、駆け出し期に科研費の重要性を実感できたことは大変ありがたいことであった。

 その後に出した科研費の申請も比較的頻繁に採択していただいたと思うが、基本的には一人でコツコツ行う国際私法研究のための小規模の科研費を頂戴していた。一つの転機が訪れたのは、1990年代ドイツにおける在外研究時である。このときに受け入れていただいた先生から「これからはグローバル化の時代であり、大きい視点からの研究を進め、成果について国際研究集会をやろう」とお声掛けいただいた。日本における法学研究では、ドイツやフランスなど特定国の法制度・状況を極めて緻密に追いかけるという比較法的かつ文献学的で、外から内方向へ、という研究アプローチが昔から(今日でも)中心となっている。おりしもGATTウルグアイラウンドが成立しWTOが発足した時代であった。ドイツ法もヨーロッパ化の動きを加速させようとしていた。グローバル化の法への影響をみるためには、一国に閉じた伝統的な比較法的アプローチでは無理があり、複数の法分野に目配りすると同時に、日本からも積極的に発信して双方向の議論を進めることが重要であると助言されたわけである。このような規模の大きい研究は、科研費、しかも大型の科研費を受けなければ実現することは無理であった。当時、科研費は特定の種目を除き基本的に国内旅費にしか使えないなど種々の制約があり、科研費と国際共同研究の二つの申請書を準備したため、報告書作成等のペーパーワークも倍増したが、このときにオールジャパンで研究チームを組んで研究を遂行したことは、その後、特定領域研究を組織するのに大層役に立った。

 こうして徐々に規模の大きい研究を進めるようになったが、科研費に対する私の考え方を大きく変えることになったのは、日本学術振興会内に設置されている学術システム研究センターへの研究員としての出向である。出向といっても非常勤なので連日出勤するわけではない。しかし毎週東京へ通わなければならない。正式に仕事を始める前に様子を見に来てくださいといわれ、2月のある日千代田区一番町の同センターに赴き、センターの会議を傍聴した。そこでは我が国の学術を牽引する先生方が侃々諤々の激論を戦わしておられた。これは大変なところへ来てしまった、と正直に思った。しかし日頃他分野の先生方とお話しする機会の多くない蛸壺的研究スタイルの私にとって、世界を相手に切磋琢磨しておられる先生方とのお話は刺激に満ちたものであった。「法律学というのは他人の作ったものを対象にして研究するんでしょう。面白いですか?」と聞かれたときには言葉を失ってしまったが。

 センターでは、それまで科研費制度の一利用者にすぎなかった気楽な立場が一変し、科研費制度を支える重責の一端を担うことになった。研究助成の在り方に関する政策論から、科研費申請の手引きの改訂、科研費プロモート全国キャラバンまで、色々な仕事があった。それを通して私が実感したのは、科研費が日本の学術研究を支えるのにいかに重要であるか(特に文科系分野にとっては複数年度にわたる規模の大きい研究を遂行しようと思うと科研費を受ける以外に手がない)、そのためには研究者コミュニテイーが協力し合い、改善、発展に努力しなければならない、ということであった。このような思いに強く裏打ちされていたセンターの仕事は、きわめて勤務モラルの高い日本学術振興会のスタッフに支えられ多忙ながら充実したものになった。センターでは多様な研究分野の研究者にお目にかかることができたが、センター長を勤められた物理学の故戸塚洋二先生とご一緒できたことは私にとって大きかった。ある日偶然目にした雑誌表紙に先生のお名前があり思わず買い求めると、それは立花隆氏との癌治療とデータに関する対談であった。「最後のご奉公としてセンターに来ました」と話しておられ、またあるときには装置をつけて廊下を歩いておられたのを思い出した。読了後雑誌を開いたまま呆然としていたまさにそのときに、センター事務局から先生ご逝去の連絡メールが飛び込んできたのであった。科研費は重要であると言葉にするのは易しい。しかし先生はこのことを体を張って示されたのだと思った。科研費によって叶った最高の出会いであった。

 センターでは外国の研究助成システムを勉強する機会にも恵まれた。例えば、ドイツは、国内における研究はドイツ研究振興協会(DFG)、国際研究・交流はアレクサンダー・フォン・フンボルト財団(AvH財団)が担い、さらにドイツ学術交流会(DAAD)が学生、若手研究者の国際交流を補完して重層的な体制をもっている。また競争的資金のほかに、DFGのライプニッツ賞、AvH財団のフンボルトプロフェッサーシップが、いずれも一研究者あたり数億円規模の研究資金として授与されている。ライプニッツ賞は文系の個人研究にも授与されており、文系の研究者のインセンティブを高めるであろうと強く感じた。またフンボルトプロフェッサーシップは海外の研究者を5年間ドイツの大学に常勤で招聘する制度であり、観点を変えれば学術助成システム間の国際競争に他ならない。このような状況下にあって、日本の学術研究助成システム全体を発展させるためには、その中核を支える科研費の一層の充実が必要である。そのために私に何ができるかを今後も自問していきたいと考えている。

※所属・職名は執筆時のものです。

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