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科学研究費助成事業

制度概要

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.33(平成23年10月発行)

「その時、そして今」

名古屋大学・総長 濵口 道成先生
濵口 道成
名古屋大学・総長

 その時、私は迷っていた。昭和50年の秋の事である。当時私は、名古屋大学医学部を卒業し、外科医になろうかとおぼろげに考えながら、大垣市民病院で研修医として働いていた。研修を開始して、半年余りたった9月初旬の事、夏中続いた外科での研修も終わり、呼吸器内科へと移ったころの事である。激務の外科とは対照的な、ゆっくりと時間の過ぎる研修を体験しつつ、深い悩みにとらわれた。来し方行く末について、心底迷っていたのである。

 私にとって、外科は憧れであった。期待を抱きつつ始めた外科の研修は、確かに劇的な体験ではあった。しかし、3か月余りの体験の中で、延々と続く集中と肉体労働は深い疲労感をもたらし、外科のチーム医療としての特性は若い私に不適合感を深めさせた。今も覚えている。呼吸器内科の病棟から、遠く広がる稲田の向こうを横切る新幹線を見つめながら、「俺の人生は、何処へ漂っていくのだろう」と悩んでいた事を。

 従順に、的確に、精力的に、組織的な仕事を10年単位のスパンで学ばなくてはならない外科に、適合しきれない自分を発見したとき、未熟な自我は突拍子もなくワープした。「そうだ、基礎研究をやってみよう。」と。その時から、もう35年となる。

 さて、基礎研究を試してみようと決断してはみたものの、当然ながら、明らかな戦略を持っていたわけではない。また、当時の我々の環境は今とは全く異なる世界であった。ネット情報はなく、英文論文も雑誌そのものをコピーしない限り手に入らず、大学紛争の余燼の残る大学は、荒廃していた。生化学、生理学に興味はあっても、ほとんどの教室は教授不在のままの異常事態が続いていた。結局、指導をお願いしたのは、限りなく優しい松本利貞教授の教室であった。今にして思えば、松本教授によって私は救われたのかもしれない。先生は、野蛮人の弟子の言動に決して怒らず、不本意なことがあっても眉を曇らせるだけであった。

 しかし、それでも実は迷いがあった。果たしてプロの研究者としてやっていけるのだろうかと。大学院に入って、2年後に父が病床に伏し、何度かの入退院の末、最終学年にとうとう亡くなった。覚悟はあったとはいえ、それはあくまでも自分の意識の問題にすぎず、迷いはさらに深くなった。果たしてこの道を進んで良いのだろうか。自分に確信が持てる未来はあるのだろうかと。その頃、自分なりに考えたことは、30頃までに、自分で研究計画を立て、論文を書けるようになり、研究費がとれるようになったら続けよう。もしこの3条件が実現しなければ、違う道を選ぼうと決めた。

 紆余曲折はあったが、自分なりに考え抜いた実験を完成させ(研究費がないために、カラムの代わりに注射器を、滴数を数えフラクションコレクターの代わりに手で分画しつつ完成させた実験であった)パラミクソウイルスのRNAポリメラーゼを再構成することに成功したのは、松本先生の退官後であった。ともあれ、この仕事で初めて科研費をとることができた。科研費を獲得できたとの知らせを受けた時、私の決心は固まった。初めての科研費は、研究者として生きていく決意を促すものであった。生涯忘れぬ体験といえる。

 さて今、科研費は大きな転機に差し掛かっているといえる。その根拠は、第1に、国が膨大な財政赤字を抱えていること。実際、今年度の科研費は、分割払いされることとなり、7月には全体の7割のみが支給されるという異常事態に陥った。第2に、東日本大震災とそれに続く原子力発電所の汚染がある。その結果、今後多額の財政出動を必要とするばかりでなく、原子力発電を契機に、科学技術全体に対する不信が広がりかねない状況にあることである。

 後者の問題は、実は私の専門である医療の現場では長年にわたって体験してきた問題である。日本の医療は世界トップレベルであるとのWHOの評価にもかかわらず、多発する医療事故は、医療全体に対する国民の不信を生み出してきた。この不信を何とか払底しようと、現場の医療関係者が打ち立ててきた原則がある。それは、「透明性、公平性、説明責任」の3点である。「由らしむべし、知らしむべからず」の明治以来の医療スタイルから、医療は「説明と了解」を前提とするものに大転換してきた。

 大震災後の日本の状況は、一歩間違うと、幅広く国民の間に、科学技術への漠然とであるが根強い不信を生み出しかねない状況にある。このため科研費は、その使途と成果について、今まで以上に透明性と説明責任を要求される時代にある。この点で、私の個人的な心配は、大型研究費、特にイノベーションを売りにしているものにある。そもそもイノベーションとは、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすような、克服不能と思える課題を越える研究であり、長期の試行錯誤を必要とするものだ。しかしながら、5年程度の期間で、年次計画を掲げ、イノベーションを実現すると計画すること自体、論理的に無理が生じているのでないか。更に、短期間にもかかわらず、夢を語るテーマとなるため、国民の実感としては、明確な成果のなかった夢物語となる。日本人は、決して無知蒙昧ではない。このようなスタイルは、長期的には、更に厳しく説明責任を求められる結果となるだろう。

 とはいっても、私は、研究に夢は必須であると思う。夢のない研究は、無意味である。但し、その実現性については、研究者による厳しい自己評価と管理が必要であると思う。そして、夢を強く求める研究こそ、多額ではないが、長期間の粘り強い支援が必要であると思う。更に、成果への明確な評価が必要である。この点で、イノベーションを日本の中から生み出そうとするなら、私は、基盤研究のさらなる充実を切に求めるものである。今ほど、基盤研究の充実と増額が必要な時代はないと思う。

※所属・職名は執筆時のものです。

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