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科学研究費助成事業

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私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.32(平成23年9月発行)

「ユリイカ! 『輝ける人』の謎」

東京外国語大学・学長 亀山 郁夫先生
亀山 郁夫
東京外国語大学・学長

 今の時点から振り返ると、私のロシア文学研究は、四十代の半ばに一つの大きな節目を経験していることがわかる。大学院時代以降、約二十年間、二〇世紀初頭ロシアのアヴァンギャルド運動に関する研究に若い情熱を捧げつくした私は、その後、意を決してスターリン時代の文化研究へと駒を進めた。当初は、自分でも蛮勇とも思える大胆すぎる方向転換だった。しかし、幸運にして、二〇〇一年には、まさにその成果である「磔のロシア」という一冊のスターリン文化論によって第二十九回大佛次郎賞を受賞することができた。思えば、その幸運には、まぎれもなく科研費によって実現したロシアでのリサーチや世界各地の研究者との交流が大きく与っている。そして今日、ここに改めて紹介するエピソードもまた、まさにその最新成果の一つといってもよいものである。

 一九七五年八月九日、当時まだ二十歳代半ばだった私は、モスクワ市の中心になるイントゥーリストホテルのロビーに置かれた古ぼけたテレビで、一人の作曲家の訃報に接した。とりたてて強い感慨はなかった。私の当時の印象のみならず、当時の音楽ファンの常識では、彼は、ソヴィエト体制の「御用作曲家」として特権を欲しいままにした作曲家というイメージが定着していたからである。そんな彼の、どこか病み上がりを思わせるむくんだ顔にかすかな嫌悪感すら覚えながら、私はすたすたとテレビの前を歩き去った。その作曲家が、それから二十五年後の私にとってこれほどにも大切な関心事になるなど、むろん想像もできなかった。名前は、ドミートリー・ショスタコーヴィチ――。

 過去十年近く、私が科研費の助成を受けて研究しつづけてきたテーマは、ソヴィエト七十年余の歴史における政治と文化の相克と共生というテーマである。ひと言でいうなら、この時代を生きた「創造的知識人」が、政治権力すなわち検閲とどう戦い、どう生き抜いてきたか、という問題である。研究のプロセスで、私がキーワードとしたのが、「二枚舌」という言葉だった。ふつう「嘘」をつく、という否定的な意味で使われるはずの言葉だが、私の使用法は少しちがった。世界的な名声を後ろだてにしつつ、二枚舌を駆使する彼らの処世術のしたたかさに、私はひどく驚かされた。他方、この二枚舌をうまく駆使できない知識人たちは闇に葬られ、逆に、二枚舌を用いることを潔しとせず、ひたすら酒に酔いまぎれていた知識人は運よく難を逃れた。むろん、こうした類型化は、あまりに表層的との批判を免れないだろう。だが、アルコールが(たとえばウオッカが)、知識人を懐柔し、その反抗心を眠らせる巧みな支配の道具であったことは疑う余地のない事実である。

 ところで、私にはいま、日曜大工よろしく細々と続けている仕事がある。ドストエフスキーの翻訳である。この2年間は、大学時代に卒業論文で取りあげたドストエフスキーの『悪霊』の翻訳に携わってきた。そうしたさなか、かねて準備してきた科研費研究グループ主催の国際シンポジウムが実現する運びとなった。今年一月のことである。タイトルは、「自由への試練、ポストスターリン時代の《抵抗》と《想像力》」。政治的抑圧からの解放が、芸術家の試みにどんな影響を与えたかを、徹底して論じようとの趣旨で開かれた。私は、このシンポジウムで、長い期間ひそかに温めてきた「仮説」を披露したいと念じていた。《抵抗》と《想像力》の主題に、二○世紀のロシアにおける『悪霊』の受容史をドッキングするという、試みである。だが、その「仮説」を裏づける資料が見つかるか、それが問題だった……。

 海外からの講演者として真っ先に候補にあがったのが、リュドミラ・サラスキナ女史だった。『ガン病棟』や『収容所群島』で知られる反体制作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの伝記を完成させたばかりで、なおかつ当代切っての『悪霊』研究者と目される人物である。彼女以上にうってつけの研究者は見当たらない。ところが、一月下旬のシンポジウムが接近しはじめるにしたがって、いろいろと困難が生じてきた。というのも、世界的な気候不順のせいもあって、今年冬のモスクワは、数日間にわたって空港が閉鎖されるなどハプニングが生じ、彼女自身東京行きにつよい不安を覚えはじめたからである。だが、ついに、『悪霊』の翻訳に従事する私の切なる思いが通じたらしく、ついに、何がなんでも東京に行きます、という心強い返事が戻ってきた。となると、基調報告者の一人である私の気持ちも引き締まった……。

 私の最大の関心事は、肺がんや心臓病に苦しむ最晩年のショスタコーヴィチが、アルコールでその苦しみを癒しつつ書いた「レビャードキン大尉の四つの詩」という歌曲集である。正直言って、どうしてこんな妙ちくりんなタイトルをもつ歌曲集を、わざわざ「白鳥の歌」に選ぼうとしていたのか。そもそも、レビャードキン大尉とは、ドストエフスキーの『悪霊』に登場し、最後に、革命家グループの差し金で惨殺される酒のみの道化詩人ではないか。ロシアのどの研究者も、この曲に作曲者の自伝的な意味合いはないと断じている。そうだろうか。レビャードキンの名の由来が、「白鳥」(レーベジ)であることに、彼らは気づいていないのか。

 説明を続けると、ドストエフスキーの『悪霊』には、この道化詩人の書いたとされる詩が四編引用されている。ショスタコーヴィチはなぜか、それらの詩に目をつけ、まさに「白鳥の歌」を書きあげた。しかも歌曲集の最後に収められている曲のタイトルが、なんと「輝ける人」――。『悪霊』では、ドストエフスキーと時代をともにした英雄的な革命家を賛美する頌詩という設定である。

 私は、決してミステリーファンではないが、文学や音楽を問わず、テクストに隠された自伝的な意味を説きほぐすという「ミステリー的」手法になぜか強いこだわりを持ってきた。では、かりに、この歌曲集に、作曲者の自伝的な意味が込められているとして、この「輝ける人」はだれなのか。つまり、だれを念頭に置いて彼はこの曲を書いたか。ロシアのある研究者は、この「輝ける人」こそ、作曲に先立つ数カ月前、ソ連当局に敢然と反旗を翻し、国外退去となったノーベル賞作家ソルジェニーツィンだと主張している。いや、絶対にちがう、そんな確信が私のなかにある!

 シンポジウム開催の直前まで、私はありとあらゆる文献を手掛かりにその謎の「輝ける人」の正体を突きとめようと四苦八苦していた。文献に答えはなかった。一週間前と定められたペーパー提出は伸びに伸びてついに三日前となった。だが、国際シンポジウムの前日に、小さな奇跡が起こった。

 一月二十二日、会場は、東京大学の山上会館――。新聞等での告知が功を奏したのか、会場はまもなく満杯になった。最後に演壇に立った私は、興奮の極にあって、声はうわずり、舌はまわらず、四十分の講演を終えたとき、完全な脱力状態にあった。会場で講演を聞いていた友人から、後に「すぐに病院で検査を受けたほうがいいですよ」と忠告されたほど、この講演は病的な印象を与えたらしい。

結論を述べよう。「輝ける人」――、それは、ほかでもない、独裁者スターリンである。ショスタコーヴィチがこの曲の作曲にとりかかったとき、すでにスターリンの死から二十年の月日が経過していた。それでも作曲家はその独裁者の影におびえていたのだ。むろん、彼は、この曲を書くことで、「雪どけ」の精神がどこまでも批判しつくそうとした独裁者を礼賛しようとしたわけではない。むしろ、彼は、「輝ける人」を賛美する酔いどれの道化詩人に、スターリン時代に生き、「二枚舌」を強いられた「創造的知識人」の原像を見ていたにちがいない。いかに自虐に満ちているとはいえ、それこそは、無数の屍を乗りこえ、恐るべき独裁の時代を生きながらえた一芸術家のこの上なく誠実な懺悔の証だった。

 講演を終えた私に、サラスキナさんが近づいてくる。
「パリにいるショスタコーヴィチ夫人を紹介しましょう!」

※所属・職名は執筆時のものです。

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