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科学研究費助成事業

制度概要

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.25(平成23年2月発行)

「科学研究費の変遷の中で」

(財)大阪バイオサイエンス研究所・所長 中西 重忠先生
中西 重忠
(財)大阪バイオサイエンス研究所・所長

 私が医学部を卒業し研究を開始した1966年頃は、戦後の経済の復興期を迎えたとは言え、基礎研究に対しての研究支援は極めて乏しい状況であった。

 私が入った京都大学医学部医化学教室の第2講座の研究資金も乏しく、最初に教えられた事は自らの実験に対して月々どのくらい費用がかかっているかを計算し、文献を良く読んで意味のある実験を進めることであった。このような状況の中で先人達が研究費の拡大を目指して多くの努力をなされているのを見てきた。その一つはある高名な教授が伝手を介して当時の首相である佐藤首相と直接面談し、科学研究費支援の現状を説明し、増額の約束を取り付けられた。また、1960年代は一線の研究者が米国のNIHのグラントを重要な研究資金として研究を進めておられたが、日本政府は我が国の独立性を維持するためにNIHグラントの獲得を禁止する事を決定した。この結果、国際的に一線の研究者が米国へ移るのではないかという騒動が発生した。今考えてみると、日本の独立性の確立に政府が日本の研究支援の責任を持つ事を明らかにしたことは評価されるべき政策決定であったと考える。1970年代になると分子生物学の発展と遺伝子工学の導入によって必要な研究費が一挙に数倍から10倍程になった。この中で国際的な競争の中で世界をリードしていたある研究者は、当時の文部省に研究費に関わる伝票を持って行って現状を説明し、研究費の増額の必要性を説明した。このような研究者自らの努力と日本の経済自体が大きく発展し、経済の発展を支えるには科学、技術の進展が必須であるという国の理解のもとに科学研究費は1980年代頃により拡大され、国際的な競争に伍する事が出来るようになったと考える。

 1981年に私は新しい教室を担当する事になったが、私の師から、教授が担う責任として、一つは世界をリードする研究成果を上げる事であるが、同時に、必要な科学研究費を獲得し、教室員が自由な発想のもとで研究を進める環境を作る事であると教えられた。この翌年に科学研究費に特別推進研究というカテゴリーが新設され、幸いにもそれを獲得する事ができた。国際競争の中での独自性を示す事は、常に自らの手で新分野を開拓することである。一方、特別推進研究は5年の期間で支援されるものであり、研究費を獲得するためにいかに新しい分野で説得力のある成果を出すか常に緊張感を持つ研究生活を過ごして来た。幸いにもこの結果、国からの支援によって5年くらいを周期に新分野を切り拓く事が出来たと考えている。

 この10年、日本の財政状態は逼迫しており、研究支援の状況も大きく変わってきている。私も専門委員として参加した総合科学技術会議の第3期基本計画において「選択」と「集中」が基本方針として掲げられた。この5年間を振り返ってみると、この基本方針を生かすには選択されるべき科学研究のビジョンをしっかりと打ち立て、その研究分野を集中的に支援する事が基本であり、ビジョンを持たずにある研究機関或いはある研究グループを集中的に支援する事が本来の姿ではないと考える。

 第4期の基本計画はイノベーションという基本方針が柱として取り入れられている。研究者はイノベーションという言葉を表層的に捉えるのではなく、節度を持って次代を担うイノベーションにつながる真の研究を遂行すべきであり、一方国は単に研究成果の出口のみを問題にするのではなく、今後の5年、10年のライフサイエンスの方向性に関してしっかりとしたビジョンを作り上げ、そのビジョンの下に研究支援がなされる事を願っている。

※所属・職名は執筆時のものです。

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