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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



最新号 No.112(平成30年6月発行)

「40年の私の研究を支えてくれたもの」

岸本 忠三 先生
岸本 忠三
大阪大学 元総長、大阪大学免疫学フロンティア研究センター  特任教授

「―2つの変革―」
   私は今年79才になったが、いまだ大阪大学免疫学フロンティア研究センターで研究を続けている。2003年に大阪大学総長を退官してから15年、今でも研究者として世界の第一線についていけるのは総長時代の6年間も研究を続けられたおかげであると思っている。それが可能であったのは総長時代にも継続して「特別推進研究」の支援を受けられたからである。
   「総長は事務職である。教授ではない。従って科学研究費はもらえない。」というのが当時の規則であった。しかし私の強い希望と当時の文科省の配慮により科研費を継続してもらえるようになったし、研究室も続けることが出来た。実際に研究していなかったら学会に行っても論文を読んでも、それは対岸の知識として入ってくるだけであり、決して研究者として新しいものを生み出すことは出来ない。
   科研費について規則を改変してもらった第一は総長職でも研究費を支援対象としうるということであり、これは現在も続いていると思う。
   
   次に最も大切なことは継続ということである。私は1985年に「特別推進研究」を初めてもらってから2003年迄、連続してこの制度から支援を受けた。1回目の「特別推進研究」が終了する時、これは1回限りで同じものは継続出来ないというルールが厳然として存在していた。私はこれに対しても異議を唱えた。1つの立派な研究は大河の流れのごとく継続してはじめて生まれてくる。1回4〜5年だけ支援して終わるのであれば、それは無駄になることの方が多い。アメリカのグラントシステムでは1つの研究が長く続いているほど、長くグラントを獲得しているほど立派な研究として評価されている。科研費は決して1度限りの“褒美”ではないと主張した。
   その結果はタイトルを少し変更して申請するということで継続が認められることになり、先ほど述べた私の総長任期が終わるまで数回「特別推進研究」は継続された。“良い研究は継続させること”というのが私の行った第2の変革である。
   
   長年に亘って「特別推進研究」を継続してもらったおかげにより、私のLife Work は大きく進展した。IL-6の発見からその受容体のシステム、シグナル伝達の全容、これらは全て当時の先端をいくものであった。そして研究はIL-6の異常産生と関節リウマチ、血管炎、キャッスルマン病など全て治療法のなかった病気の原因解明と治療法の開発へとつながっていく。
   IL-6受容体に対する抗体は我が国初の抗体医薬として中外製薬との共同により開発され、現在、中外、Roche(ロシュ)によりにより世界113カ国で約100万人の患者を救っている。この抗体医薬は昨年全世界で年間約2,000億円のブロックバスターとなりそのロイヤリティーによって、外国人留学生の支援、また免疫学会をはじめとして多くの研究者の支援に役立っている。このようにして長年に亘って文科省より支援された研究費は、今、多くの研究者を支援することにつながっている。
   顧みると、この研究を始めて40年以上が経過する。現在様々な公的研究プロジェクトが推奨するよう3年、5年、10年で日本発の画期的医療を生み出せというのは、果たして可能であろうか。
   「特別推進研究」は私の場合、年間約5千万円であった。現在は1件あたり数億円が支給されている。それほどのお金がユニークな研究を生み出すことに必要だろうか。私が常にいうのは“金を使うより頭を使え”である。そして1つの主題を何十年に亘って継続することである。それによって“創造”が”想像”を超える。

※所属・職名は執筆時のものです。
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