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拠点大学交流事業

関連資料

日中拠点大学交流事業「電子加速器を用いた加速器科学」について

黒川 眞一

1.はじめに

電子加速器そのものと、電子加速器を用いた研究は、近年急速な進歩を遂げており、アジア地域では、日本と中国で最も進んだ研究が行われている。2000年度から開始されたこの交流事業は日本と中国における電子加速器を持つ研究機関間で電子加速器そのものの研究と電子加速器を用いた各種の研究を行うことにより、日中を含むアジア地域におけるこの分野(以下加速器科学という)のレベルアップを目指すものである。
日本側では、高エネルギー加速器研究機構が、中国側では、北京にある中国科学院高能物理研究所が拠点大学の役割を果たしており、筆者は日本側のコーディネータを努めている。
この交流事業においては、多くの若手研究者を参加させることにより、次世代の研究者を育成することに力を注いでおり、開始以来4年弱にして、博士の学位を取得した中国人研究者は既に5人に達している。今後さらなる増加が見込まれるであろう。

2.電子加速器を用いた研究とは

電子加速器を用いた研究は、物質の究極の構成要素と構成要素間に働く力を研究する学問である素粒子物理学から、円形型電子加速器から発生する放射光と呼ばれる光を用いて、物質を原子や分子のレベルで研究する放射光科学まで多岐にわたり、基礎科学から応用まで幅広い分野にわたる。反応にかかわるエネルギーのスケールでは、1012eVから10-3eVまでの実に15桁にわたる範囲をカバーしている。電子加速器という共通の技術に基づいて、かくも多岐にわたる研究を行えることが、この共同研究事業の最大の特徴であろう。
具体的な研究テーマは、電子加速器そのものに関する研究と、電子加速器を用いる研究に大別され、また、後者は、素粒子物理学および放射光科学の二つから成り立つ。具体的な研究内容は、

(1) 電子加速器に関する研究:直線型電子陽電子衝突型加速器(リニアコライダー)、円形型電子陽電子衝突型加速器、そして放射光発生用円形型加速器に関して、それぞれの加速器の高性能化に関する研究。
(2) 素粒子物理学に関する研究:リニアコライダーを用いて行う素粒子物理学に関しての理論的な研究と、リニアコライダーのための測定器の開発研究、円形型電子陽電子衝突型加速器であるBファクトリー及びタウチャーム・ファクトリーを用いた実験的な研究。
(3) 放射光科学に関する研究:放射光発生用円形型電子加速器から発生する放射光を用いて、物質の構造や機能に関する研究。

3.主たる成果

アジアにおいて素粒子物理学の研究を行える加速器を所有する国は日本と中国のみであり、両国とも、円形の電子陽電子加速器を用いた研究を行っている。

3.1 KEKB、BELLEとCP不変性の破れの発見

まず、日本の高エネルギー加速器研究機構では、2リング型非対称エネルギー電子陽電子衝突型加速器(KEKB)とその測定器(BELLE)を用いて、粒子と反粒子の間の微妙なふるまいの違いであるCP不変性の破れを検出する実験が進行中である。
現在私たちが住んでいるこの宇宙は粒子のみからできているが、宇宙創成の初めには、同数の粒子と反粒子が存在したはずである。宇宙進化の過程で、先に述べたCP不変性の破れにより、反粒子が消えて、粒子のみが残ったというのが有力な仮説であり、CP不変性の破れを研究することで、なぜ我々の宇宙が粒子のみで成り立っているのかという素粒子物理学の最大の謎に挑戦することができる。
2001年にBELLEは、B中間子においてCP不変性が破れていることを明確に示すことに成功した。CP不変性の破れは、1964年に中性K中間子において発見されてからほぼ40年にわたる探求にもかかわらずK中間子以外の場所では見つからなかったものであり、この発見は、素粒子物理学における近年の大発見の一つであるといえる。この実験にはこの事業によって支援された数多くの中国人研究者をはじめとするアジア人研究者が参加してきている。
1973年に益川敏英京都大学名誉教授と高エネルギー加速器研究機構の小林誠素粒子原子核研究所長は、クォークが6種あれば、CP不変性の破れが自然に説明できるという、小林・益川理論を提出した。BELLEで測定されたCP不変性の破れの大きさは、この小林・益川理論による予測と一致しており、小林・益川理論の正しさを強く支持するものである。日本人研究者が提唱した理論を、日本における実験によって検証した画期的なものといえる。
これらの研究を遂行するには、高性能の加速器を安定的に運転することが重要である。B中間子とその反粒子である反B中間子を工場のように大量に生成することから、Bファクトリーと呼ばれるKEKB加速器は、電子を蓄積するリングと陽電子を蓄積するリングの二つのリングからなる衝突型加速器である。KEKBの陽電子リングに大電流を蓄積したときに、陽電子から発生した放射光が真空ダクトの内壁にあたって作り出した電子が陽電子ビームに引き寄せられてビームの回りを電子の雲が取り巻き、この電子雲が陽電子ビームを不安定にする、いわゆる電子雲不安定性が、KEKB加速器の性能を制限する最大の問題であった。この拠点事業ではこの問題を解決すべく、日中間で共同研究を継続的に行い、高能物理研究所BEPC加速器(1リング型電子陽電子衝突型加速器)を使って、まず、電子雲不安定性が陽電子を蓄積する円形加速器で非常に発生しやすい現象であることを確認することに成功し、さらにその結果に基づき弱いソレノイド磁場をビームと平行にかけることで、電子雲不安定性を有効に抑制することに成功した。こうした性能向上の努力により、BファクトリーKEKB加速器は、2003年5月に人類未到のルミノシティ(ルミノシティとは衝突型加速器の性能を表す量のこと)1034cm-2s-1を達成し、現時点ではその性能は、1。39×1034cm-2s-1まで増加している。図1にKEKB加速器の写真を示す。

図1 トンネル中に設置された、KEKBの陽電子リングと電子リング。陽電子リングの真空ダクトに電子雲抑制用のソレノイドが巻かれているのがわかる。
図1 トンネル中に設置された、KEKBの陽電子リングと電子リング。陽電子リングの真空ダクトに電子雲抑制用のソレノイドが巻かれているのがわかる。

3.2 BEPC‐II計画

一方、高能物理研究所においては、1リング型電子陽電子衝突型加速器BEPCを2リング型の電子陽電子衝突型加速器に改造し、1033cm-2s-1というルミノシティを目指す、BEPC‐II計画が2003年始めに中国政府によって正式に承認され、直ちに建設が開始された。KEKBグループとBEPC‐IIグループ間には本拠点事業に基づく緊密な協力関係が存在しており、加速器に関する多岐にわたる共同研究が進行中である。一例を挙げれば、KEKBで開発された大電流蓄積用単一セル単一モード型超伝導加速空洞の周波数を508MHzから500MHzに変更した改良型空洞の建設が日中共同で行われている。図2にBEPC‐IIの概念図を示す。

3.3 リニアコライダー

高エネルギー物理学における最重要の将来計画であるリニアコライダー計画は、物質の究極の姿の探求、宇宙誕生時の状態の再現、質量の根源の探求といった我々の世界を形作る根本原理の究明を目指すものであり、現在、国際協力体制の大プロジェクトとして計画の実現に向けて世界中で議論が行われている。高エネルギー加速器研究機構では、アジア地域の素粒子物理学においてリーダーシップを取りつつ、リニアコライダー加速器の研究開発及び物理実験に向けての基礎研究が進められている。高エネルギー加速器研究機構にあるATF(Accelerator Test Facility)とよばれる研究用加速器では、リニアコライダーにおいて高い性能を達成するために必須である、非常に小さいビーム・エミッタンスの実現、すなわち加速器中の電子ビームの大きさをよりシャープにする研究が日中の研究者を含んだ国際研究チームで継続的に行われてきており、世界最小のエミッタンスの達成に成功している。

図2 高能物理研究所の将来計画である2リング型電子陽電子衝突型加速器BEPC‐IIの概念図
図2 高能物理研究所の将来計画である2リング型電子陽電子衝突型加速器BEPC‐IIの概念図

3.4 放射光科学

高エネルギー加速器研究機構放射光施設(フォトンファクトリー)は1983年の共同利用実験開始より20年以上にわたる実験と研究実績を誇っている。そこで蓄積されたノウハウは、日中間の研究者交流等により、合肥の中国科学技術大学にある0。8GeV放射光や高能物理研究所放射光施設BSRFの実験・研究に応用されている。
さらに中国においては、非常に小さいビーム・エミッタンスをもつ第三世代放射光加速器である上海放射光施設が今年の初めに中国政府の正式な承認を得、まもなく建設が開始されようとしている。この計画は3nmという極めて小さなエミッタンスを持つ、周長420mの放射光加速器を、上海の中心部から20km、上海国際空港から20kmに位置する浦東地区の工業団地内に作るものである。中国科学院上海応用物理研究所が担当研究所である。この放射光は完成の暁には、世界第5番目の大きさの放射光加速器となる予定である。上海放射光施設計画において日中間の研究者が測定器とビームラインの構築に向けて、共同で研究開発を進める協力体制が整えられつつある。図3に上海放射光の概念図を示す。

4.今後の展開

2000年にこの事業が始まってからの4年弱の間に、中国においては、高能物理研究所のBEPC‐II計画、上海応用物理研究所の上海放射光計画という二つの大型加速器計画が政府の正式な承認を得た。本事業の終了時点である2009年度末には、どちらも本格的な運転を行っているであろう。本拠点大学共同事業はまさに中国における加速器科学の発展の時期に合わせて進行していることになる。
アジア地域においては、中国に加え、韓国、インド、台湾において加速器科学がめざましく振興している。この事業を、日中に加え、日韓、日印を含めることにより、ほぼアジア全域をカバーする、加速器科学の共同研究が行えることになるであろう。多国間化を強く望む所以である。

図3 上海放射光概念図

図3 上海放射光概念図

黒川 眞一(くろかわ・しんいち)
高エネルギー加速器研究機構加速器研究施設教授
本記事は「学術月報Vol.58 No.1」に掲載されたものである。