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拠点大学交流事業

関連資料

中国黄土高原の砂漠化防止と修復

稲永 忍

1.砂漠化と中国黄土高原

中国の砂漠化面積は国土の8.7%で、その年間拡大速度は1950~70年代には1,560km2であったが、最近では2,460km2と加速している。また、中国における砂漠化の深刻な地域は西北部と北部である。本拠点大学交流の研究対象地域である黄土高原は、西北部の黄河中流域に広がる海抜1,000~2,000mの高原地帯である。その面積はわが国の約1.7倍あり、そこに約7千万の人々が暮らしている。年間の平均降水量は450mm、平均気温は10℃以下、気候的には冷涼半乾燥地に属し、冬の寒さが厳しい夏雨地帯である。また、風積土の黄土が400~700mの厚さで堆積している。黄土は粘土10%、シルト87%、砂3%からなる粘質土で、水に溶けやすく、乾くとクラスト化しやすいといった特徴がある。そのため、黄土高原では侵食によって形成された無数のガリ(侵食谷)と、それによって寸断された荒涼たる丘陵が果てしなく続く。黄土高原の年平均土壌侵食(受食)量は3,700t/km2に達するといわれ、事態をこのまま放置すれば広大な地域が不毛の地と化してしまうことが危惧されている。
黄土高原はもともと植物生産力の低い土地だったわけではない。中国漢王朝(紀元前202~後9)の記録によると、「水と緑が豊かで美しく、土地も肥えて農業と牧畜がともに栄えていた」という。11世紀に入ると度重なる戦乱と気候の乾燥化により次第に荒廃が進んだ。特に清代(1644~1911)には、人口の急激な増加に伴い、大規模な森林伐採と耕地の開墾、加えて過放牧も一段と進み、本来の生態系は完全に崩され、今日の光景が出現した。そして現在においても、黄土高原では生産性は低いものの農業生産は可能なため、農民はその低い生産性を補おうと、丘陵地の急斜面や頂部にまで耕地を拡げ続けている。そのため土壌侵食に一層の拍車がかかっている。

2.交流の概要とこれまでの成果

本拠点大学交流事業は、「中国内陸部の砂漠化防止及び開発利用に関する研究」の実施を目的としている。日本側の拠点は鳥取大学乾燥地研究センター、中国側の拠点は中国科学院水土保持研究所におかれ、平成13年度に開始された。初年度は研究フィールドの選定や具体的全体計画の策定に充て、平成14年度から定点観測や現地調査を開始したところである。
研究は以下の5課題について進められており、これまでに若干の成果が得られている。
第1課題(砂漠化の過程と影響の解明):砂漠化の進行過程とそれが自然環境に与える影響について明らかにすることが目的である。これまでに、土壌被覆と大気との熱エネルギー交換が、本研究に先駆けて開発した土壌3層モデルにより推定できることや、降水量分布が気象衛星(GMS‐5)の赤外(IR)データから推定できることなどを明らかにした。
第2課題(砂漠化防止計画の作成):本課題は、他の4課題と連携を取りながら各課題の成果を取り込んで総合的砂漠化防止対策を立案、提示することを目的とする。加えて、黄土高原での土壌侵食が、そこを源流とする河川の下流域でどのような(負あるいは正の)環境影響を及ぼすのか、という点について調査している。これまでに、黄土高原に源流を持つ洛河下流域に位置する大茘地区洛恵渠灌漑区では、地下水位が浅く、地下水の電気伝導度(EC)値が高いところほど塩類集積が進んでいることが判明している。
第3課題(適正技術と代替システムの開発):この課題は伝統的農業技術の改良を行うとともに、近代的農業技術の導入を図って、持続的生物生産システムの構築を目指すものである。ところで現地では、「退耕還林(斜面にある耕地を林地に替えること)」政策による減収を補うために高収益を狙うビニルハウス栽培が急速に普及しつつある。これまでに、ハウス栽培では、キュウリの連作が病害の発生を増大させ、収量の減退を招くことを実験的に明らかにした。
第4課題(住民参加と環境教育に関する計画作成):砂漠化対処に不可欠な住民参加システムと環境教育のあり方について提言することを目的としている。これまでの調査で、農民の多くは砂漠化対処の必要性を認識してはいるが、それへの参加は政府補助金の受領が目当てであることが明らかとなった。
第5課題(緑化と環境保全のあり方に関する総合的研究):半乾燥地域における緑化のあるべき姿を明らかにすることを目的としている。これまでに、延安地区の原植生と推察されるリョウトウナラ林が、ニセアカシア人工林よりも持続的な林分構造を有することを明らかにした。
なお、以上の成果は、日中合同セミナー(平成13年度は日本、14年度は中国で開催)において公表された。

3.エピソード(1)SARS問題

以下は、副コーディネーターの山中典和乾燥地研究センター助教授の報告である。
2003年4月、観測機器の設置を含めた調査のため中国を訪れた。ちょうど北京でのSARS問題が大きくなりつつある頃であったが、目的地の陜西省ではまだ患者が出ておらず、感染地域でもなかった。現地のカウンターパートとの連絡を密にし、現状は安全であるとの判断をたて、その上で鳥取大学の多くの関係者の協力を得て、できる限りのSARS対策を行い、無理をして調査を決行した。しかし、玄関口の西安に着くと、陜西省でも患者が出たとの一報を受けた。私たちが研究現場である延安に入って3日目から現地でのSARS対策が本格化し、ホテルの新たな宿泊が禁止となるとともに、延安の町に入るにも、町の入り口で車を止めさせて、強制的に消毒を実行するようになった。また飲食店等でもよそ者に対する対応はきびしくなり、よそ者だと明らかに解る我々は入店拒否を何回も経験した。人の居ない延安の山中で調査をしているときが一番安心できた時間であった。帰国の際には西安から上海への機内で全員体温測定があり、数人が何処かに車で連れて行かれているようであった。やはり、飛行機内が一番恐ろしく、水も食事もとらず、マスクを片時も外さなかった。SARSではなくても体調を崩し、微熱があるだけでも隔離されそうで、下手をすると日本に帰って来られなくなる可能性も大いにあると感じた。また日本に帰ってきてからも10日間の自宅待機を言い渡され、周囲の冷たい目にジッと耐えなければならなかった。家族に迷惑をかけたのが一番辛かった。
今後SARSが再発しないことを祈るばかりである。

4.エピソード(2)大雨による道路の切断

以下は、第3課題リーダーの井上光弘乾燥地研究センター助教授の報告を筆者が記述したものである。
水土保持研究所のある西安郊外の楊陵から研究現場の延安までは約600km。2003年、延安では例年になく雨が多く、本年9月上旬も20年振りという大雨に見舞われた。途中の高速道路では3か所、迂回路でも15か所が寸断され、研究現場へは向かえなかった。楽しみにしていた観測データの回収や現地調査は止むを得ず中止、無念さを残して帰国の途に着いた。研究現場は、少しの雨でも山道がえぐられ、また大変滑りやすくなるところである。その上、道の片側は断崖絶壁である。いくら経験豊富な運転手といえどもその緊張感は隠せない。同乗のわれわれは言わずもがなである。こうした危険地帯となっているのも砂漠化が原因なのである。

5.おわりに

言葉や習慣のみならず、研究の進め方なども違う日中両国の研究者は、合同で現地調査を重ねる中、強固な信頼関係を築きつつある。これは特に若手研究者の間で顕著である。すでに、研究成果の国際誌への投稿も始まった。本交流は、高いレベルの研究成果の産出と、次世代の日中研究者層の育成に大きく役立つであろう。


稲永 忍(いななが・しのぶ)
鳥取大学乾燥地研究センター 教授
(本記事は「学術月報Vol.56 No.11」に掲載されたものである。)