事業の成果

写真:教授 蟻川 謙太郎

教授 蟻川 謙太郎

昆虫色覚の神経行動学的研究

総合研究大学院大学 先導科学研究科 教授
蟻川 謙太郎

研究の背景

  1914年、Karl von Frisch(1973年ノーベル賞)は、蜜と色紙を組み合わせた巧みな実験で、ミツバチに色覚があることを示しました。以来、昆虫の色覚は行動神経科学の中心課題の1つとなっています。さらに、ミツバチの複眼には紫外線・青・緑に感度をもつ3種の視細胞があり(図1)、これが3色性色覚の基盤であることもわかりました。しかし、このミツバチでの知見に普遍性があるかどうかは不明でした。そこで、この知見の一般性を確かめることと、進化の過程を理解することをめざし、私たちはチョウを中心に昆虫色覚の比較生物学研究を始めました。

図1 ミツバチ複眼視細胞の分光感度。紫外(UV)、青(B)、緑(G)の3種。左の写真はKeram Pfeiffer氏(Univ Marburg)提供。

図1 ミツバチ複眼視細胞の分光感度。紫外(UV)、青(B)、緑(G)の3種。
左の写真はKeram Pfeiffer氏(Univ Marburg)提供。


研究の成果

  私たちはチョウの複眼について、どのような分光感度の視細胞が、複眼のどこに何個ずつどう並ぶか、どんな視物質を発現するか、分光感度はどう決まるかなどを、分子・神経生理・解剖などの方法で詳細に調べてきました。チョウが見る世界については、行動実験で調べました。行動実験はヒトの視力や色覚の "心理物理学" に当たるもので、物言わぬチョウとのやりとりは、乳児の視覚を調べるようなものです。

  初めに調べたアゲハには、ミツバチに似た紫外・青・緑に加え、紫・赤・広帯域の視細胞が見つかり、このうち紫外・青・緑・赤の4種が色覚に使われていることをつきとめました。しかし、分光感度の形と種類は、チョウの種によってまちまちで、モンシロチョウでは、紫外・紫・青・黄緑・赤・暗赤の6種類(図2)、キシタアゲハでは9種類に及びました。

  シロチョウ類とシジミチョウ類の複眼には、性差があります。例えばモンシロチョウでは、紫の受容細胞があるのはメスだけで、オスではこれが二峰性青になっています。オスのモンキチョウには赤受容細胞が1種類しかありませんが、メスには薄赤、赤、暗赤の3種類があります。視細胞分光感度の性差は、視物質分子の構造そのものではなく、視物質の発現パターンや、視細胞にあって色フィルターの働きをする色素の性差によることも分かりました。また、性差にもいろいろあり、ヒメシロチョウでは、複眼表面がメスでは滑らかなのに対し、オスはデコボコです。これは、オスの複眼には大小の個眼がランダムに混在しているためです。その結果、オスはメスよりも明るさの適応範囲が広くなっているようです。

図2 アゲハ(上)とモンシロチョウ(下)の複眼視細胞の分光感度。アゲハBBには緑と赤の視物質が共発現している。モンシロチョウではVはメス、dBはオスのみに見られる。両者とも同じ視物質を発現、オスには420nmを吸収する色素が共存している。

図2 アゲハ(上)とモンシロチョウ(下)の複眼視細胞の分光感度。
アゲハBBには緑と赤の視物質が共発現している。
モンシロチョウではVはメス、dBはオスのみに見られる。
両者とも同じ視物質を発現、オスには420nmを吸収する色素が共存している。


今後の展望

  昆虫の色覚には、紫外線が見える、動きに強い、視野が広いなど、ヒトをしのぐ能力が多くあります。こうした能力の研究には実用的な側面があります。たとえば、減農薬のために害虫の光防除が広がりつつあり、これには昆虫視覚の理解が不可欠です。さらに、多くの子どもは昆虫が好きという点は見逃せません。昆虫好きな子どもが将来、科学を勉強したり、科学の仕事についたりする可能性が高いからです。昆虫に関するしっかりした研究結果を発信することで、科学全体の芽を大切に育てたいものです。

  複眼の多様性の、進化や行動との関係は、いまだによく分っていません。最近私たちは、アゲハ複眼の形成機構を、遺伝子編集を使って進化発生学的に調べ始めました。この実験結果を、室内や野外での行動解析の結果と合わせることで、生命の進化の理解に一歩ずつ近づきたいと考えています。



関連する科研費

平成21-24年度基盤研究(A)「微小脳における色知覚機構とその進化」
平成26-29年度基盤研究(A)「昆虫視葉板における色覚初期過程の解剖学的・生理学的解析」