研究領域X横断フォーラム(第3回)
映像とコミュニケーション
「映画と共同体 ―現代中国映画の場合」 野崎歓(東京大学)
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1970年代末から、中国語圏の映画はいわゆるアジア・ニューウェイヴの動きを牽引してきました。ところがこの数年、大陸の映画に新たな局面が生じているように思えます。そこには映画と社会、共同体のあり方をめぐる大きな変化が認められるのです。
その象徴ともいうべき不思議な話題作が、陳凱歌監督による『無極』(2006年)でした。陳凱歌が1984年に発表した『黄色い大地』は、それまで国家イデオロギーのプロパガンダ装置として用いられてきた映画のあり方を根本から覆す、記念碑的傑作とみなされています。そこには共産党の政治路線に沿った物語化を拒むリアルな「大地」、およびそこに生きる人間の発見、啓示がありました。
ところが20余年を経ての新作『無極』は、まったく荒唐無稽な剣戟スペクタクル映画となっています。『黄色い大地』の監督が現在、なぜこうした、およそ現実社会の問題と接点のない超大作を撮らなければならないのでしょうか。
『黄色い大地』で撮影監督を担当した張芸謀も、陳凱歌に先んじて『英雄』(2002年)、『十面埋伏』(2004年)という、香港スターを起用しての武侠映画大作路線に舵を切りました。それ以前には台湾の李安監督による『臥虎蔵龍』(2000年)の世界的大ヒットという出来事がありました。李安の成功に刺激された類似作が、怒涛の勢いで乱作されている印象です。いずれも、台湾、香港の人脈およびハリウッド系資本までをも取り込んだ上で、いわば中華グランドオペラというべき、豪華絢爛たるスペクタクルを展開したものです。
両岸三地の交流がボーダーレスな様相を呈してきているいま、これまでも体制の違いを超えて共有されてきた武侠小説的なファンタジーが、中国語圏の映画界を席巻しているのです。海賊版DVDやネット上における映画の流出といった大陸の現況にあって、映画館で観たいという欲望をそそる特効薬としてこうした題材に救いを求めているのでしょうか。あるいは、北京オリンピック開催を目前に控えて未曾有の好況を呈す中国社会の、自己肯定へと向かう欲望を拡大投影した結果が、娯楽大作のかたちを取るのでしょうか。
こうした大作の対極にあって、低予算のインディペンデント作品が、製作に関する規制の緩和とともに俄然活況を示し、国際映画祭で大いに注目を集めていることも強調しておきましょう。それらの作品は『無極』とは正反対の、矛盾と葛藤に満ちたリアルな現代中国像を提示するものです。ただしそれらの多くは、もはや映画館での上映を前提とせず、フィルムではなくデジタルヴィデオによる「作家の映画」としての個人性を帯びています。
他方、これまで中国語圏映画の中心にあった香港映画は危機に直面しています。大陸の二極構造がそのまま、香港映画界にも及び、本来香港映画の中核を支えてきた都市の映画、市民の映画は衰退を隠せません。市民的共同体のローカルな現実と密接に結びついていた香港映画に代わって、中華風ファンタジーの大風呂敷を広げる作品が幅を利かせつつあります。しかしそれこそは、香港映画の「原点」への回帰なのかもしれません。ニューウェイヴ誕生以前の香港映画はまさに荒唐無稽な、現実と触れ合うことのない武侠ファンタジーの全盛時代でした。その傾向を代表したかつてのショウ・ブラザーズ作品を、香港、中国合作で大々的にリメイクしていくという企画が近ごろ、発表されています。
おそらく、歴史はひとまわりしたのかもしれません。中国語圏映画はいまや、大陸映画の香港映画化、それもニューウェイヴ以前の娯楽映画を新しいテクノロジーを用いて拡大投影するような作品群によって、ハリウッドと正面から対峙する一大勢力を形作ろうとしています。そこにファンタジーを超えて、どのような新しい社会的アイデンティティーが結ばれていくのか、注目したいと思います。
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