昆虫の個体及び社会性発達の制御機構解明とその利用
Study on molecular mechanisms of insect growth and social development, and its application
プロジェクトリーダー 片岡 宏誌
東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
1. 研究の目的
昆虫の個体発育の最も顕著な特徴は、その過程に変態を組み込んだことにあります。その結果、昆虫は、個体発育のタイミングを環境に適応して調節することにより、生活時間や空間を拡大し、現在では地球上で最も多様な種を持つ動物として繁栄しています。一方、昆虫のなかには、シロアリやミツバチのように、コロニーを形成して棲息する社会性昆虫も存在します。昆虫の社会性は、コロニーを構成する個体がそれぞれの役割に適した個体発育様式を獲得することにより形成されており、より高度に環境適応した個体発育の一形態と捉えることが可能です。個体発達過程における変態や、個体発達の延長上に獲得されたと考えられる社会性は、昆虫において最も顕著に見られますが、いずれも種を越えて様々な動物に観察される現象です。したがって、その分子機構の解明と利用は、昆虫科学の枠を越えて、生命科学や科学技術の進歩に大きく寄与するものと期待しています。
以上のような観点から、本プロジェクト研究では、昆虫の最も顕著な特徴である変態を初めとする個体発育と、社会性発達の制御の分子基盤を解明することにより、昆虫の生存戦略に対する統合的な理解を得ることを目的としています。さらに、昆虫の発育や行動を人為的に制御するための技術の基礎を確立することを目指しています。
2. 研究の進捗状況
本研究プロジェクトでは昆虫の個体発達において最も重要な脱皮・変態をコントロールしているエクジソンに注目し、カイコを主たる実験材料として(1)神経ペプチドによる前胸腺でのエクジソン合成・分泌調節機構の解明、(2)エクジステロイドにより誘導される変態時の翅形成の分子機構解明、に焦点を当てて研究を進めています。一方、社会性発達については、コロニーを形成する個体がそれぞれの役割に適した個体発育様式を獲得したとの観点から、シロアリとミツバチを研究対象として(3)これまで生態学的解析しか進められていなかったカースト分化制御機構の分子生物学的解明、(4)社会行動を制御していると思われるカースト選択的遺伝子の同定と機能解析、を中心に研究を進めています。以下、これまでに得られた成果および今後の方針について概略を述べます。
「個体発達の制御機構について」

(1)前胸腺のエクジソン合成・分泌調節において中心的な役割を果たしている前胸腺刺激ホルモン(PTTH)の受容体候補遺伝子を発現クローニング法により単離に成功しました。この遺伝子には新規なG-蛋白質共役型膜7回貫通型受容体と思われる蛋白質(PTTH-R)がコードされていました。また、このPTTH-Rと相同性をもつタンパク質をコードする遺伝子が線虫や哺乳類にも存在し、マウスでは胚期の脳神経系で強い発現が見られました。今後、哺乳類での研究へ発展することが期待されます。

(2)エクジステロイドの翅形成に及ぼす影響を様々な側面から検討し、カイコの無翅(fl)変異体の翅形成では、エクジステロイドシグナルが翅でのみ正常に受容できず、その原因の一つはBHR3(ホルモン受容体3)遺伝子の活性低下によることを見いだしました。また、同定したfl遺伝子自体はカルシウム結合部とりん脂質結合部をもつ全く新規の遺伝子(アネキシン)と思われ、昆虫のみならずすべての動物の発生に根本的に関わる重要遺伝子と考えられます。
「社会性発達の制御機構について」

(3)ネバダオオシロアリのニンフにJHA処理を行うことにより、有翅型の兵隊(インターカースト)を作成することに成功しました。その際、ニンフの発育ステージが進むにつれて、兵隊形質の発現程度が低下すること、また兵隊形質の一つ大顎の大型化と有翅虫の形質である翅・複眼形成はトレードオフの関係にあり、両者の形質が有翅型兵隊で逆相関的に発現していることを明らかにしました。また、成熟したオオシロアリの兵隊で特異的に発現している数種類の新規遺伝子をDifferential Display 法により同定し、そのうち1つ(sol1)はノーザン解析でも兵隊で非常に強く発現されていることを確認しました。さらに、ペプチド抗体を作成し、雌雄やコロニーに関わらず兵隊のみでSOL1が発現・翻訳されていることを確認しました。

(4)女王蜂の脳と卵巣に選択的に発現するQ7遺伝子を同定し、その解析を進めました。この遺伝子産物は、女王蜂固有な行動(脳)と生理状態(卵巣発育)の協調的な調節に関わる可能性が考えられます。 今後は研究対象をシロアリに絞り、カースト選択的に発現する遺伝子の同定を継続するとともに、カースト分化制御因子の同定を試みる予定です。特に、兵隊アリと有翅(生殖)虫のカースト分化に注目し、個体の生理的(ホルモン)環境、個体間相互作用によるカースト分化のスイッチング機構を探求します。また、社会行動を司る遺伝子(特に兵隊の攻撃行動に着目)の同定を新たに目指します。これらの研究を通じて、各個体がカースト特異的な発育様式を獲得したという観点から昆虫の社会性構築のメカニズムを探りたいと考えています。
3. 研究の体制(平成13年11月1日現在)
期間:1999年10月〜2004年3月
構成:プロジェクトリーダー1名
研究分担者3名
研究協力者3名
実施場所:東京大学大学院新領域創成科学研究科片岡研究室
東京大学大学院新領域創成科学研究科藤原研究室
東京大学大学院総合文化研究科松本・三浦研究室