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昆虫の性決定の遺伝子ネットワーク

Genetic network for the sex determination in insects

プロジェクトリーダー 嶋田 透

東京大学大学院農学生命科学研究科助教授

1.研究目的

昆虫は100万以上の種を擁する地球上で最大の生物群であり,その繁栄の理由は,旺盛な繁殖力すなわち生活環の短縮と巧妙な性の営みにある。性は,あらゆる生物に共通するゲノム組換えのための仕組みであるが,しかし性の決定機構は,生物群ごとにまったく異なっている。昆虫の性は,生殖器の分化のみならず全身の細胞の機能に顕著な性的二型をもたらすこと,性決定遺伝子の機能が強力で環境要因の影響がほとんどないこと,性ホルモンを用いずに全身の細胞で個別に決定されること,などの点で,他の生物の性と明らかに異なっている。昆虫では雌雄モザイクが頻繁に発見されること(図1)は,細胞自立的な性決定機構が存在する証拠である。
図1:カイコの雌雄モザイク個体。体色の白い部分が雄,黒い部分が雌の細胞からなる。
さらに昆虫の中でも,性染色体によって性を決定するもの,常染色体に性決定遺伝子をもつもの,共生細菌によって性を決定するものなど,種による多様性が甚だしい。昆虫の性決定遺伝子のうち,構造が判明しているのは,ショウジョウバエおよび数種のハエ類(双翅目短角亜目)に限定されている。しかし,ハエで単離された性決定遺伝子に相同な遺伝子が,ハエ以外の昆虫に存在するか否か,不明である。ショウジョウバエが採用しているX染色体数と常染色体数の比を出発点とする性決定の様式は,鱗翅目昆虫であるカイコには当てはまらない。カイコではW染色体の存否だけで性が決定することが,わが国の研究者によって70年も前から知られている。しかも,不思議なことに,鱗翅目昆虫の中でも,W染色体を欠く種が多数知られており,それらの種ではZ染色体の数が性を決定すると想像される。このように昆虫の性決定様式には驚くほどの多様性があるので,その分子機構を昆虫種ごとに解明し,互いに比較することが必要である。一方,化学殺虫剤による環境破壊に対する反省から,昆虫の性や生殖などを標的にした環境影響の少ない特異的害虫防除技術の開発が社会的に要請されている。また,カイコやミツバチなどの益虫では,性を人為的に制御することにより,物質生産力を飛躍的に向上させ得ると期待されている。それらは,形質転換昆虫や特異的化学物質を利用した性の人為制御の方法を開発することによって実現する。本研究の目的は,カイコをはじめとする鱗翅目昆虫を中心に,性を決定する遺伝子および性的二型を支配する遺伝子を発見し,それら遺伝子間のネットワークおよびその種間差異を明らかにすることである。
 図2. 研究の背景と目的





2.研究計画

(1)ショウジョウバエの性決定関連遺伝子のカイコホモログの構造と機能解析

私たちはすでにカイコのcDNAの塩基配列を大量に決定し,ESTとしてデータベース化してきた。その中からショウジョウバエの性決定に関与する遺伝子であるdoublesexfruitlesstransformer-2sans filleovarian tumorsovoなどのホモログを発見した。本プロジェクトでは,それらの一次構造を決定し,発現パターンを組織別,発育段階別に雌雄間で比較する。また,カイコの形質転換技術を導入し,これら性決定遺伝子の形質転換個体を作成し(図3),表現型の変化を調査する。これらの結果から,上記遺伝子がカイコでも性決定に関与しているか否か,またコードするタンパク質の機能が何であるかを解明する。

図3:カイコの卵にマイクロインジュエクションで性決定遺伝子を導入している。

 

(2)性染色体の構造解析と最上位の性決定遺伝子の同定

カイコの性は,W染色体上の仮想的性決定遺伝子 Fem によってエピスタテックに決定されることが特徴である。以下の2つの手法でFemの同定を試みる。

  1. 既に作成済みのBACライブラリーを活用し,カイコW染色体のBACクローンの塩基配列をショットガン法によって決定する
  2. 雌雄のRNAのサブトラクションを行って雌で特異的に発現する遺伝子を探索する
  3. Femの変異型対立遺伝子と考えられているIsx(Intersexuality)遺伝子の機能を解析する

 

(3)DNAチップを駆使した性決定遺伝子の同定と性決定遺伝子の制御化にある
  遺伝子ネットワークの解明

性特異的に発現する遺伝子を網羅的に探索するために,大量のcDNAをチップ化し,雌雄の組織のmRNA量の雌雄差を解析する(図8)。また,性決定遺伝子の形質転換体における遺伝子発現の変化をDNAチップを用いて調査し,性決定遺伝子の制御下にある遺伝子を発見する。

 

(4)カイコ以外の鱗翅目昆虫の性決定機構の解明と新たな害虫防除法の開発

カイコ以外の鱗翅目昆虫の性決定機構を解明し,改変した性決定遺伝子を遺伝子導入して形質転換系統を作出することにより,野外昆虫の不妊化または性的撹乱による害虫防除法を開発する。また,害虫特異的な性や生殖に関わる分子機構を標的とした新しい薬剤等による害虫制御法を開発する。

 





3.研究成果

本プロジェクトは,昆虫,特に鱗翅目昆虫の性決定の分子機構を解明することを目指しており,1. doublesex相同遺伝子の構造と性特異的スプライシング,2. doublesex相同遺伝子の機能の解明,3. その他の性決定遺伝子ホモログの構造と発現,4. 性染色体の構造と機能,5. DNAマイクロアレイを用いた雌雄差の解析,の4本の柱を立てて研究している。

3-1. 鱗翅目昆虫のdoublesex相同遺伝子の構造を解明した

3-1-1. Bmdsx mRNA の構造:ショウジョウバエdsx遺伝子のカイコでの相同遺伝子Bmdsxが,雄と雌で異なる mRNA アイソフォームを生じることを明らかにした(図2・図3参照)。Bmdsx の雌型・雄型それぞれの mRNA アイソフォームの発現は,幼虫・蛹・成虫のあらゆる組織で観察された。限性黒卵を用い,発生段階を追って解析した結果,受精後約80時間の胚子で初めて性特異的なmRNAが発現することを見いだした。一方、BmdsxのmRNAの存在を組織学的に検討し、発現量の多かった生殖巣でのmRNA蓄積は実際には体細胞で顕著であることを明らかにした。

3-1-2. BmDSXタンパク質の局在:BmDSXに対する抗体を作成し,脂肪体でのBmDSXタンパク質は主に細胞核に局在することが観察された。

3-1-3. Bmdsx遺伝子の構造:BmdsxのBACクローンを単離し,6個のエクソンと5個のイントロンからなる遺伝子構造を明らかにした(図2参照)。イントロンの塩基配列の決定によって,ショウジョウバエとは異なる機構で性特異的スプライシングが生じることが推察された。Bmdsxは,性染色体ではなく第6染色体に座乗していた。

3-1-4. Bmdsx mRNAのスプライシング制御機構の解析:HeLa細胞核抽出物によるBmdsx pre-mRNA の試験管内スプライシングの結果,Bmdsx の基底状態におけるスプライシングは雌型であることが判明し,ショウジョウバエの基底状態が雄であることと正反対であった。したがって雄のカイコにのみBmdsxのスプライシングを抑制する機構が存在することを意味している(図3・図1参照)。

3-1-5. Bmdsx mRNAの性特異的スプライシング調節機構: Bmdsxの性特異的スプライシングに関わるシス因子やトランス因子を同定するin vivo系を確立するため,アクチン3プロモーターの下流にBmdsxのエクソン2からエクソン5までのゲノム断片を連結したDNAを構築し、微量注射法を用いて培養下の絹糸腺細胞に注射した。その結果、雌の細胞では雌型のスプライシングのみが観察されたのに対し、雄細胞では雌型および雄型の両スプライシング産物が認められ、部分的ではあるが性特異的スプライシングが再現された。そこで、Bmdsxの第3イントロンの3'スプライス部位に存在するSXL結合モチーフ様配列を破壊したコンストラクトを導入してみた結果、本来のスプライス部位より143nt上流でスプライシングが起きた。したがって、SXL結合モチーフは第3イントロンの正確なスプライシングに必要である。

3-1-7. カイコ以外の doublesex相同遺伝子の構造決定:カイコ以外の鱗翅目昆虫としてエリサン・サクサン・クワコから,degenerate primer による RT-PC R によってdoublesexに相同なcDNAを得た。ノーザン解析等の結果,カイコ(ZW♀/ZZ♂)とは異なるZO♀/ZZ♂型の性染色体を持つエリサンでも doublesex 相同遺伝子は性特異的に発現していた。

3-1-8. エリサンのdoublesex相同遺伝子(Scdsx)におけるpre-mRNAの性特異的スプライシング: Scdsxの遺伝子構造を細かく検討するとともに性特異的スプライシングの機構を解析した。 Scdsxのエクソン2からエクソン5に渡る塩基配列からなるpre-mRNAをHeLa核抽出物中に加え、生じたスプライシング産物をRT-PCRおよび配列決定によって同定したところ、 Scdsxのエクソン2, 4, 5が選択されエクソン3はスキップされた。よって、エリサン雌には第 3エクソンの選択を活性化する特別な機構が存在するらしい。カイコとエリサンのdoublesexの性特異的スプライシング制御機構は互いに異なると考えられる。

図4. ヒト・ショウジョウバエ・カイコにおけるdoublesex相同遺伝子のスプライシングの模式図

3-2. doublesex相同遺伝子の機能の解明

3-2-1. Bmdsxがショウジョウバエのdsx同様、性決定に関わる機能を持つことを確かめるために、雄の脂肪体細胞内で雌型のBmdsxを強制発現させることによって、雌特異的なタンパク質であるSP-1の合成量に変化がみられるかどうかを観察した。AcNPVをベクターとして用い、Bmdsx cDNAを脂肪体細胞内に導入した結果、SP-1の合成量が、対象区に比べ最大で9倍多かった。よって、雌型のBmDSXタンパク質はSP-1の発現を促進する機能をもつらしい。

3-2-2. BmDSXの標的配列の一つはビテロジェニン遺伝子のプロモーターである:ビテロジェニン遺伝子の5'上流域にショウジョウバエでDSX認識配列とされるコンセンサス配列に類似した塩基配列を発見した。これが真にBmDSXの標的配列であるかどうかを解明するため,in vitroの転写-翻訳系を利用して雌型BmDSXと雄型BmDSXを作製し,ビテロジェニン遺伝子プロモーター領域の日本鎖オリゴヌクレオチドとBmDSXタンパク質との結合をゲルシフトアッセイ法によって検定した。その結果,ビテロジェニン遺伝子のプロモーター領域の配列は確かに雌型および雄型BmDSXタンパク質と結合することが判明した。

図5. BmDSXタンパク質とビテロジェニンプロモーター配列の結合

3-2-3. Bmdsxをエクトピックに発現する形質転換カイコの作出:雌型Bmdsx mRNAを強制発現するトランスジェニックカイコの作出を試みた。 BmNPVのie1プロモーターと雌型Bmdsx ORFからなる配列を、遺伝子導入ベクターpPIGGYBAC3xP3-EGFPafの一部に導入した。こうして得られたコンストラクトDNAを、農業生物資源研究所田村俊樹博士および神田俊男博士の協力を得て、カイコpnd-w1系統の産下8時間以内の受精卵1314粒に注射した。その結果、303個体が孵化し、112蛾区のG1世代を得た。幼虫の単眼が UV存在下でEGFPの蛍光を発するかどうかを調べることによりG1世代をスクリーニングした結果、112蛾区中18蛾区よりEGFP陽性個体を得た。5齢幼虫においてEGFP陽性個体は、雌94頭、雄90頭とほぼ1:1に近い性比を示した。しかし、雄幼虫の中に、重要な性徴として知られるヘロルド腺の形態に異常をきたしたものが数頭見出された。さらに,それらEGFP陽性個体のRNAを解析した結果、導入コンストラクト由来のBmdsxが転写されていることと同時に、雄個体においてビテロジェニンmRNAが転写されていることが明らかになった。これらの事実は、導入した雌型Bmdsxが雄個体の雌化を促進していること、およびビテロジェニン遺伝子が確かにBmdsxの支配下にあることを示している。

図6. GFPをマーカーとして選択されたBmdsxトランスジェニックカイコ
図7. Bmdsxトランスジーンを持つ雄カイコにおけるビテロジェニン遺伝子の転写

3-3. doublesex以外の性決定遺伝子に相同なカイコの遺伝子を発見した

3-3-1. fruitlessおよびtransformer-2に相同なカイコの遺伝子:キイロショウジョウバエの神経の性を決めるとされる遺伝子fruitlessに相同なカイコの遺伝子Bmfruを単離し,これが選択的にスプライシングされて5種類以上のmRNAアイソフォームを生じることを明らかにした。Bmfru mRNAは脳と卵巣・精巣に多く蓄積しており,卵巣と精巣でアイソフォームの発現に差異があった。Bmfruは第6染色体に座乗していた。また,transformer-2の相同遺伝子を単離し,2種類のmRNAアイソフォームがあることを明らかにした。

3-3-2. 生殖細胞の性決定遺伝子:ショウジョウバエの生殖細胞の性決定遺伝子sans fille・ovarian tumors・ovoなどに相同な遺伝子を単離し,構造を決定した。

3-3-3. ショウジョウバエの遺伝子量補正複合体の構成要素に相同なカイコのタンパク質群:ショウジョウバエのX染色体上の遺伝子は雄の転写量を倍にする仕組みを持っている。この遺伝子量補正を行うタンパク質複合体(compensasome)のうち,MLE,MOF,MSL-3の三者に相同なタンパク質をコードする遺伝子をカイコから発見した。RT-PCR解析より、これら3遺伝子はカイコの種々の組織で発現していた。カイコのZ染色体には遺伝子量補正が無いとされているので,これら相同遺伝子の機能はショウジョウバエと異なるはずである。

3-4. カイコの性染色体(W染色体およびZ染色体)の構造と機能を解析した

3-4-1. W染色体の網羅的解析:W染色体由来のBACクローンを取得し,その全塩基配列170kbを決定した。結果,Kabuki・Yokozunaなどレトロトランスポゾンや転移因子に富む領域が大部分を占めており,しかも転移因子上に転移因子が挿入する「いれこ構造」が随所に認められた。

3-4-2. カイコW染色体の構造と機能:W染色体には雌決定遺伝子Femが存在すると予想されている。放射線照射によって作出されたFem欠損型のW染色体をPCRにより解析した結果、Femが抜けたW染色体にはSamurai遺伝子座が残っていたが,KabukiおよびKamikaze遺伝子座は欠けていた。また、Fem無しのW染色体を持つ個体ではBmdsxmRNAは雄型となった。すなわちBmdsxの雌型スプライシングにはFemを含むW染色体が必要である。

3-4-3. Z染色体の網羅的解析:カイコのZ染色体には既知のBmkettinT15.180aRcf96等のほか,概日時計遺伝子Bmperが座乗していることを発見した。これら4遺伝子を起点とする小規模なBACコンティグを構築した。BmperBmkettinT15.180aをプローブとして得られたBACクローンにはどのような遺伝子が存在するのかを明らかにするため、BACの塩基配列をショットガン法により決定した。特にBmkettin周辺については約350kbを細かく解析し、その領域に存在するORFを明らかにした。その結果,Z染色体上の遺伝子は、神経機能・運動機能に関わると推定されるものが多い傾向があった。また、これらの遺伝子のショウジョウバエホモログは、period以外すべて常染色体上に存在し、遺伝子配列順序も異なっていた。

3-4-4. 農業生物資源研究所廣川昌彦博士により発見された間性系統IsxIntersexuality)はW染色体上の変異であり、Femの対立遺伝子である可能性がある。この間性系統におけるBmdsx遺伝子の発現を解析したところ、雌型Bmdsx mRNAと雄型Bmdsx mRNAの両者が同一個体の同一組織で発現していることが分かった。IsxBmdsx遺伝子の性特異的スプライシングに影響していることを示す結果である。

3-4-5. ZZW3倍体やZZZW4倍体におけるBmdsx遺伝子の転写産物を解析した結果、いずれの倍数体でも雌型のBmdsx mRNAが発現していることが明らかになった。これは、W染色体がBmdsxの性特異的スプライシングを直接または間接に支配することを示す結果である。

図7. カイコW染色体に普遍的に見られるレトロトランスポゾンの入れ子構造

3-5. カイコESTの拡充とDNAマイクロアレイを実現し,
   それを用いて雌雄差を解析

3-5-1. カイコESTデータベースの拡充:雌雄の種々の組織に由来するESTを新規に10000個以上取得した。既存のESTと合わせると約25000クローンのESTが得られたことになる。これらの中に,他生物で性決定・性分化・生殖に関与することが知られている遺伝子を多数発見した。

3-5-2. DNAマイクロアレイを用いたカイコの性特異的遺伝子発現の解析:約6000個の独立遺伝子に由来するcDNAをスライドグラス上に固定してマイクロアレイを作製した。これを用いて、カイコ5齢幼虫の脂肪体におけるmRNAの雌雄差を検出してみたところ、数十個の遺伝子の発現に雌雄差が認められた。既知のビテロジェニン遺伝子のほか,DNA結合タンパク質遺伝子Nopp140あるいはリパーゼ様タンパク質の遺伝子などに雌雄差があった。

図8. 約6000種類のcDNAを登載したマイクロアレイによる脂肪体mRNAの雌雄差の解析:赤が雌特異的,緑が雄特異的なmRNA

論文発表





4.研究体制