海外脳外科最新事情(番外編)
大須賀 覚 先生
Satoru OSUKA
筑波大学脳神経外科(博士課程3 年 ※掲載時)
〒305-8575 茨城県つくば市天王台1-1-1
日本学術振興会特別研究員
「リンダウノーベル会議」参加記
1)リンダウノーベル会議とは
リンダウノーベル会議というのをご存じでしょうか? おそらくほとんどの方がご存じないでしょう。私自体も参加する以前は,ほとんど知りませんでした。日本国内では,この会議について詳しく知っている人はほとんどいないと思います。しかし,世界の研究者のなかでは,よく知られた研究者交流会議の一つです。
この会議は通常の学術国際会議とは参加者も内容もまったく異なります。まず参加メンバーが豪華です。この会議には,ノーベル賞受賞者約20 〜 30 人と,世界80 カ国以上から選抜した若手研究者550 名が一同に会します。そして,このメンバーで1 週間にわたりレクチャーやディスカッションを通して,若手研究者の知識向上と,お互いの交流を深めて,今後の研究発展を目指します。この会議から未来の科学を牽引する人材を育てたいというのが大きな理念となっています。
リンダウノーベル会議は毎年1 回,南ドイツのリンダウという所で開催されており,第二次世界大戦直後より始まり,今年で第61 回目を数える,伝統ある会議となっております。実際に,過去にこの会議に若手研究者として参加して,ノーベル賞受賞者としてこの会議に戻ってきた人もいるほどです。学術分野は医学生理学・物理・化学とノーベル賞に準じて分かれており,この学術領域を年ごとに交代しつつ行います。今年は医学生理学部門の会議が開催され,来年からは物理,化学,3 分野合同という順に4 年周期で回っています。
若手研究者の参加資格は35 歳以下の博士課程の大学院生かポスドク(博士課程修了直後の研究者)となっていて,各国での国内選考と,リンダウノーベル財団での国際選考で選ばれます。
2)参加の経緯
そもそも,私がこの会議に参加することとなった経緯について少し書いておきます。 私は医師9 年目で,専門医試験合格後に博士課程に進んで,現在は博士課程3 年です。1 年ほど前に筑波大学脳神経外科の松村明教授より,このような会議があるので,ぜひ挑戦してみないか,と言われたのが始まりでした。
そもそも臨床医であり,本格的な基礎研究者ではないのですが,せっかくの機会なのでダメもとで挑戦してみようと決意しました。その後,数多くの書類提出などを経て,半年ほどの選考の結果で,なんと幸運にも参加者の一人に選ばれました。何事もひとまず挑戦してみるものです。そもそも,ほぼ4 年に一度しか自分の分野はめぐってきませんので,そのときに条件にあった資格と学歴が揃っていることが必要になるので,運にも恵まれないといけず,私はまさに運があってこのような貴重な機会をいただけたと思います。
今回,このような会議に参加する貴重な経験ができましたので,ぜひできるだけ多くのことを他の人にもお伝えして,今後参加を目指す脳神経外科医の後輩の助けにでもなればと思い,会議の参加記録を報告させてもらいます。この会議は,実際にレクチャーが行われている時間以外にも,イベントが盛りだくさんですので,旅行記のかたちで日程に沿って,前・後編の2回に分けて内容を記載させていただきます。
3)会議前日(6 月25 日)
前日夜に南ドイツのミュンヘンへ入り,市内で一泊しました。この日の昼過ぎの電車でリンダウへ移動しました。2 時間ほどの行程でしたが,車窓からの風景はきれいであっという間でした。南ドイツはスイスと景色が似ていて,一面に緑が広がり気持ちの良い風景が広がっています。
15 時ころにリンダウ駅に到着。リンダウはボーデン湖に浮かぶ小さな島で,保養地として有名な場所です。外周は走れば20 分ほどで回れるという小さな島です。電車は湖にかかる橋を渡って,島の中心部にある中央駅にゆっくりと入りました。とてものどかで静かな田舎の駅です。
駅からはタクシーでリンダウ財団がとってくれたホテルへ移動します。少し市内からはずれたところにあるホテルで,部屋は二人部屋でした。希望を出せばシングルも選べるのですが,せっかくなので他の研究者と知り合えるためにも二人部屋にしました。同室の人は東北大学の中村修一さんという方でしたが,このときはまだ到着はしていませんでした。
今日は19 時より日本の文部科学省主催で現地での歓迎会が開催される予定でしたので,18 時すぎになり準備をして出発しました。ホテルのフロントに降りると,他の日本人参加者3 人の方に出くわしました。一人は九州大学の細田將太郎さん,東京医科歯科大学の大園瑛子さん,ワシントン大学の佐藤千尋さんでした。みんなでタクシーに乗り合わして会場に向かいました。細田さんはパーキンソン病でのミトコンドリア障害とオートファジーについて,大園さんは癌化抑制における転写制御について,佐藤さんは発生時における神経細胞の働きについて,それぞれ研究されているとのことでした。 19 時少し前に食事会の会場となるリンダウ中央駅の目の前のホテルに到着しました。中世の装いを残した豪華なホテルです。ロビーにはすでに文部科学省の人が待っていてくれました。
この会の主催者は文部科学事務次官の清水潔さんで,他の参加者は文部省の職員が3 人,ドイツの日本大使館の駐在員で科学技術担当書記官の方,日本学術振興会の方,The international human frontier science program(HFSP,学術活動に支援している国際機関)の中原徹事務局次長,文部科学省に同行している通訳の方と,そして若手参加者の方としてはわれわれ以外にボストン大学の津野祐輔さん,ケンブリッジ大学の関田洋一さんなどが参加されていました。若手研究者はまだ全員がリンダウ入りしていないので,この会に来ていたのは全体の半分ほどです。
日本からの参加者といっても国籍が日本なだけで,実際には半分の方が海外の研究機関で仕事をされています。食事は南ドイツの伝統料理が並んでいて,牛肉ド〜ン,豚肉ド〜ンという感じですが,お味はとてもおいしかったです。食事を楽しみつつみなさんとお話ししました。事務次官というのは文部科学省の事務方のトップですので,相当偉い方ですが,実際話してみるととても気さくな方で,話しやすく,丁寧にわれわれの研究の話を聞いてくださいました。
私自身はそれまで政府の役人の方とお話する機会はほとんどありませんでしたが,話してみると皆さんすごく味があり,さまざまな熱い気持ちを持って仕事をされているのが印象的でした。今回のリンダウノーベル会議についても,絶対他の新興国に負けるな,中国やインドの人に遅れを取ってはいけない,日本の存在感を示すためにどんどん発言して負けないようにしてくれと熱いエールをいただきました。
いろいろな人と話すと,皆さんが今の日本の研究の現状に同様の危機感を持っておられるのがわかります。それは,日本の学術交流が著しく減少しているという問題です。具体的には,海外に留学する日本人研究者が減少し,さらには日本に留学する外国人研究者も減少してるというものです。このままでは,日本の学術活動が衰退してしまうのではないかという危惧があり,この状況をどのように変えられるのかを皆さん真剣に考えておられました。そして,われわれにもどのように考えているのかなど,率直に意見を求めていました。
19 時から21 時半すぎまで会は行われて,その後,文部科学省の若手とともに二次会に行きました。ここではみんなで今後の日本の研究活動について,原発問題についてなど深夜まで語り合いました。最後はみんなでホテルまでそれぞれの研究の話などしつつ,歩いて戻りました。 部屋に戻ると同室の中村さんがいらしており,お互い自己紹介と研究内容などについてお話してから就寝しました。中村さんはサルモネラの鞭毛について研究されており,そのシステムをモーターなどに応用する生物物理学の研究をされているとのことでした。
4)会議初日(6 月26 日)
ついにリンダウノーベル会議初日を迎えました。ホテルより会場へ歩いて移動する途中で,チリ人の参加者と知り合いました。彼も癌の研究を行っているということで,研究内容に関して話をしながら会場に向かいました。
会場についてから,まずレジストレーションを行い,開会までは時間がありましたので,みんなで会場近くで行っているピカソ展を見に行くことにしました。実は,この会議には地元の人も積極的に協力していて,会議のネームカードを見せると,地元のバスはすべて無料で乗れますし,ピカソ展なども無料で鑑賞できます。途中で地元ドイツの若手研究者4 人と合流し,一緒に見学してから昼食も一緒にとりました。お互いの研究活動や感じていることを聞いてみると,国は違っても感じていることは本当に似ています。同年代の研究者が抱える悩みなどは万国共通です。
午後に会場に戻り,いよいよ会議が始まりました。会場はとても洗練されたデザインで,素直におしゃれだなという印象でした。リンダウノーベル財団のトップの方やドイツの教育大臣,ノーベル賞受賞者のお話などが続きました。ここではSchavan(シャヴァン)教育大臣を通じて,ドイツのMerkel(メルケル)首相から大地震を経験した日本人参加者に対してBest wishes が伝えられました。その後,ゲストとして参加しているマイクロソフトのBill Gates がスピーチをしました。彼は近年,公衆衛生のための財団を作り積極的な活動をしています。今回のリンダウ会議の主題がGlobal health でしたので,参加となったようです。
この日行われたGlobal health に関してのPanelDiscussion では,現在世界が抱える問題に関して,Bill Gates とノーベル賞受賞者と若手研究者2 人が登壇して,マラリア・赤痢などの問題が話されました。これらの病気は発展途上国で大きな問題となっており,現在もたくさんの人が亡くなりますが,先進国での患者がほとんどいないために研究費がつかず,新たな薬品も作られないなどのさまざまな問題があります。このことなどの対策が討論されました。
この日,初めて出会った他の日本人参加者としては,理化学研究所の新田英之さん,ブリティッシュ・コロンビア大学の塩田真己さん,National Institutes ofHealth(NIH)の藤本美智子さん,東京医科歯科大学の田中敦さんなどがいました。塩田さんと藤本さんは私と同じく医師で,現在は基礎研究を中心に行っている方でした。みなさん本当に一流の研究機関で研究されており,その話は大変勉強になりました。特に,海外で研究されている方の競争の激しさは,想像以上の厳しさがあり,日本で研究をしているわれわれも,本当にいくつもの点で見習わなければいけないと感じました。
初日の講演の後で,会場でノーベル賞受賞者の参加者中で唯一の日本人である根岸英一先生にお会いしました。根岸先生は温厚でやさしく,丁寧にわれわれ一人一人と握手してくれて,それぞれの研究内容について話を聞いてくださいました。その後,「そうそう,これを皆さんにお見せしましょう」と言って,おもむろに財布から何かを取り出したと思ったら,なんとノーベル賞のメダルでした!!! どうぞと言われて,全員が実際に手に持たせてもらいました。ノーベル賞のメダルは純金のためかずっしりと重く,とてもきれいに輝いていていました。まさか一生のなかでノーベル賞のメダルを手にする(持っているだけ!?)時がくるとは思わず,本当に感動的でした。
その後,全員参加の歓迎夕食会に行き,この日は終わりでした。
5)会議2 日目(6 月27 日)
昨日は式などばかりでしたので,この日より本格的に会議が開始されました。会議は午前中にノーベル賞受賞者5 〜 6 人の30 分のレクチャーがあり,その後に講演された受賞者を中心として討論が行われます。昼食をはさんでから,午後は本会場から場所を変えて,午前中にレクチャーを行った受賞者と若手研究者が小グループに分かれて,1 時間半の間で直接意見を交わします。この場所がまたユニークで,島の各所にある歴史的な建物の中で行われます。このタイムスケジュールを1 日の基本として,その日程がこの日より4 日間続きます。
この会議期間中の食事は,さまざまなかたちで設定されています。他の研究者と積極的に交流できるように,いろいろな会場で,スタイルや参加者を変えて設定されています。昼食は主に会場近くの大型テントでブッフェスタイルで提供されますが,夕食は日によって場所や参加者が細かく違っており,参加者それぞれに事前にスケジュールが渡されました。バーベキューであったり,ダンスなどのある夕食会であったりします。また,この食事会の一部にはノーベル賞受賞者も参加されていました。
この日の受賞者のレクチャーは,テロメアの発見者のElizabeth Blackburn と,ノックアウトマウス技術の開発者Oliver Smithies,細胞のイオンチャンネル機能の発見者Erwin Neher,リボソームの構造と機能の発見者Ada Yonath などが話をしました。多くの人はノーベル賞の研究についてや,現在行っている研究について,人によっては研究者の心得のようなのを話す人もいます。みんな大変な熱意を持って話してくれます。
この日で最も印象に残ったのはSmithies 先生の話でした。自分は‘child of science’ だと言い,すでに高齢となった現在でもベンチに座り,現役で研究をしていると言っていました。若いころから今までの実際の実験ノートをスライドに映しながら,最初の研究や,大きな発見をした1 ページなど,時には1 月1 日の日付のノートや,この会議に参加するまさに前日のノートまで見せていました。純粋な研究への熱意や,真摯に物事を追求していく姿勢などに感銘を受けました。
午後はBlackburn の公開質問会に参加しました参加者はみんないろいろと質問したいため,マイクは本当に奪い合いです。この日は残念ながら私は質問する機会には恵まれませんでした。ただ,質問は受賞内容に関するものから,研究の基本的なスタイルに関するものや私生活など広範で興味深いです。
その後は,他の日本人参加者と夕食を食べてから,時間があったのでリンダウ島をジョギングで1 周しました。ドイツは緯度が高いせいか,20 時すぎぐらいまで明るいので,遅くまでいろいろと活動できます。
前号では,リンダウノーベル会議の概略と会議2 日目までの様子をレポートしました。後編となる今回は,会議3 日目から最終日までの模様について報告いたします。
6)会議3 日目(6 月28 日) 午前のレクチャーには,アクアポリンチャンネルのPeter Agre,根岸英一先生,制限酵素の発見者WernerArber などが登場しました。根岸先生はノーベル化学賞を受賞されていますが,その発見は根岸カップリングという薬剤などの合成に重要なシステムですので,医学生理学にも関連があります。日本人の受賞者の話をこのような国際的な会議で聞けるのは,日本人として誇りを感じました。
午後は,マスタークラスという,若手研究者のなかの数人が研究内容を発表して,それに関してノーベル賞受賞者と若手研究者で議論していくという会に参加しました。発表する若手は事前公募で選ばれた人でした。司会はユビキチンシステムの発見者のCiechanover だったので,発表者はタンパク分解異常に関する疾患研究をしている人が選ばれていました。私も応募しましたが,分野が違うとのことで残念ながら選考されませんでした。3 人の発表者は,1 人がドイツ,2 人がインド人でした。インド人の勢いを感じますが,残念ながらこの2 人はまだこの分野の研究を始めて間がなかったようで,オリジナルデータがほとんどなく,ちょっと盛り上がりに欠けていました。
この日の夜はGrill & Chill というイベントに招待されていました。これは湖畔でバーベキューをしつつ,親睦を深めようという企画です。また,この会には地元の住人も混ざって参加しているのがユニークでした。バーベキューといっても自分でやるわけではなく,料理人がスタンバイしていて,焼いてくれるソーセージ・ステーキなどを楽しみました。この会ではいろいろと面白い人にたくさん出会えました。その国籍は多岐にわたります。ウクライナ,台湾,マレーシア,インドネシア,メキシコ,オーストリア,エジプト,アメリカなどなどです。
興味深かった人を2 人挙げます。1 人はニューヨークから来たフリーランスの記者という人でした。この人はNature 誌のリンダウ会議の記事を書きに来ているということでした。私は記者に出会う機会が過去にほとんどなかったので,その話は新鮮でした。あともう1 人,こちらもニューヨークから来た高齢の方でしたが,話を聞くとこの会議の創始者のひとりということでした。察するに,おそらくアメリカの大金持ちだと思います。私は日本から来たんですよと言ったら,「以前この会議に湯川秀樹が来た時に,一緒にダンスを踊ったわ」と言っていました。それって,いったいいつ!?
7)会議4 日目(6 月29 日)
午前の講演は,緑色蛍光システムの発見者RogerTsien, 光合成反応中心の3 次元構造決定をしたHartmut Michel, 一酸化窒素機能の発見者FeridMurad などでした。午後はMartin Evans の討論会に参加しました。この人は幹細胞培養やノックアウトマウス技術の発見で有名な先生ですので,幹細胞研究を行っている研究者が集まっていました。私もグリオーマの癌幹細胞を研究しているので,ぜひ癌幹細胞に関して質問しようと意気込んで行きました。討論会が始まるとすぐに,いっせいにたくさんの手が上がります。私も聞こうとしますが,すぐに他の研究者から聞きたいところの質問が出てしまいました。自分で聞けずに残念でしたが,癌幹細胞に関しての見解は確認することができました。
この日の夜はコンサートがプログラムに組まれていました。そのため,討論会の後はホテルに戻り,スーツに着替えました。この会議はインフォーマルな打ち解けやすい雰囲気で行われているので,みんな普段は完全にシャツ1 枚でラフな格好でした。しかし,コンサートはドレスコードでしたので,みんなビシッとドレスアップして参加していました。コンサート後は,初めて日本人参加者ほぼ全員で集まり,みんなで飲みました。
他国の人と親睦を深めることも大事ですが,やはり日本人の話を聞くことは重要です。研究・留学・生活などなど,本当に参考になりました。みんなたいへん高いモチベーションをもって,世界を相手に闘っている姿が特に印象的でした。
8)会議5 日目(6 月30 日)
朝早くから,ノーベル賞受賞者と癌研究をしている参加者を交えて,朝食会が行われました。癌の中でもかなり幅広い領域の人が集まっていたので,逆に癌研究の大枠をついていて,今後の方向性などを整理する機会になりました。
いつもの形式の会議はこの日が最終日です。午前はいつものように受賞者のレクチャーでした。受賞者の講演の大トリは,Christian de Duve という94 歳の受賞者でした。大変な高齢で杖をつきながらゆっくり登壇して,大丈夫かなという感じでしたが,話し始めると急に人が変わったように,すごい熱気でメッセージを伝えていました。さすが受賞者だなと感じます。
なんと杖をポインター代わりにスライドを指すのに使っていて,これには会場も大うけでした。最後は,“My generation, our generation, has made a mess ofthings。 It’s up to you to do better。 The future is inyour hands。 Good luck。” とわれわれに熱いエールを送ってくれ,会場全体が最後はスタンディングオベーションでした。
この日の最後のイベントは,夕方から行われたBavarianEvening というものでした。Bavarianとは南ドイツの地方の人のことで,この地方が中心となったパーティーです。ドレスコードは各国の伝統衣装という規定になっていました。私は残念ながら何も持ってきていなかったのですが,参加者によってはそれぞれの国の民族衣装で参加していました。この会場では衣装によって,より珍しい国から来ている参加者と知り合いになれました。ナイジェリア,カメルーン,エジプト,ネパール,ネイティブアメリカンなどです。
この会場でインドネシアの人と話していたら,あなたの国は何人の募集から選ばれた人たちなのと聞かれました。あまり正確には知りませんでしたが40 〜 50人くらいかなと言ったところ,インドネシアは800 人から選ばれた8 人と言っていました。それだけで驚いたのですが,なんと,その後インドの場合を聞いたら,2 万人から選ばれた40 人とのこと。では,中国のも聞かなくてはと調べてみると,なんと3 万人から選ばれた35 人とのことでした。彼らのすさまじい競争社会には,ただ感心するしかありません。
9)会議最終日(7 月1 日)
この日が最終日で,全員参加の船旅にでかけました。船着き場についてみると,遊覧船ではなく豪華客船が泊まっていました。本当にこの会議は豪華です。食事や飲み物はもちろんフリーでたくさん置いてあり,食事を楽しみつつ優雅な船旅でした。この船上で台湾人の放射線科医に出会いました。今はケンブリッジ大学で研究中とのことでした。私はMRI に関連した研究もしているので,そのことに関して話が盛り上がりました。今回の参加者で医師(MD)の人は数人見かけましたが,少なかったので話す機会が持ててよかったです。基礎研究から臨床研究へのつながりをどうするかなどなど,話は尽きませんでした。
約2 時間ほどの船旅のあと,ボーデン湖の北に位置するマイナウ島へ到着しました。この島は古城が中心にあり,島全体が豊富な緑に囲まれた観光島です。実はリンダウノーベル会議を主催しているのは,このマイナウ島の領主である貴族の方たちです。島に着くと,南ドイツの州知事の挨拶や,貴族の方の挨拶などがあり,その後,島の中心部に作られた巨大天幕で最後のGlobal health に関する討論会が行われました。
その後は自由時間で島の中を散策しました。島の一画にはドイツの各研究機関が作った小さなパビリオンができており,ドイツの研究を紹介して,ぜひ留学しにきてくださいという宣伝を行っていました。この会議にはドイツ政府,研究機関,企業などが協賛しており,この会議を通してたくさんの研究者がドイツに来てくれることを狙っています。このあたりがさすが抜け目がないです。最後は,お城の前で閉会のスピーチが行われて,全体のプログラムは終了しました。帰りの船は,大会場がディスコとなり,歌手が歌い,みんな踊りまくりながらリンダウ島にもどりました。
10)おわりに
この会議で感じたこと・学んだことなど,書きたいことはまだまだあるのですが,長くなってしまいますのでこのぐらいにします。
今回,リンダウノーベル会議に出席できたことは,自分にとって多くの学びを生みましたし,なにより世界中に多くの友人を作ることができました。これは本当に貴重な財産です。おそらく,これほどの数のノーベル賞受賞者と一度に会うことは,もう一生涯ないのではないかと思います。この会議は本当にすばらしいですので,条件が合う脳神経外科医の方はぜひ参加されることをお勧めいたします。どうしても日本国内で仕事をしていると失いやすい,国際的な視点や,研究交流に関しての大きなきっかけになると思います。応募を検討される方は,日本学術振興会のホームページで詳細をお調べください。
今回の参加には,日本学術振興会から旅費や会議参加費用などを負担していただきました。ありがとうございました。
この会議に選考されたのは,何より今までの臨床・研究を支えてくださった多くの先生方のご協力があったからこそです。特に,現在の研究についてご指導くださっている慶應義塾大学先端医科学研究所の佐谷秀行教授に深く感謝いたします。また,常日ごろから私の仕事を支えてくださり,今回の参加のきっかけも作っていただいた当科の松村明教授に改めて御礼申し上げて,稿を終えたいと思います。ありがとうございました。