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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.92(平成28年10月発行)

「科研費と共に歩む」

村上 洋一 先生
村上 洋一
高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所 副所長/放射光科学研究施設長

本稿を執筆するにあたり、科学研究費助成事業データベースKAKENで、自分のこれまでの科研費研究課題を振り返ってみた。懐かしい研究課題の数々を眺めていると、暫し時を忘れて、若手・中堅研究者であった頃にタイムスリップしてしまった。どの研究課題にも楽しくも辛く苦しい思い出が一杯詰まっている。時にうまくいったと思った課題でも、より難解な問題を突きつけられるのが常で、どんどん深みにはまって行ってしまった。そんな個人的思い出を書き綴ってみたい。
   学生の頃、指導教官がどんな科研費を申請していたのか思い出せない。その頃は、何か面白いことを思いついたので科研費を申請しようぐらいの感じではなかったろうか。今のように、ささやかな研究をするにも科研費の取得が必須であるような状態ではなかった。また何より今と違って大学の先生には時間があり、毎日良く議論をして貰った。議論が煮詰まってしまって、二人とも居眠りをしてしまうぐらい時間があった。やはり教育には時間がかかるものである。今のように忙しすぎる時代に、大学の先生はちゃんと教育ができているのだろうか。さて、今と昔のどちらが良い時代であったか。
   助手の頃、自分で科研費を申請できるようになった。その当時の一般研究(C)を申請し、新しい研究に挑戦した。当初は低次元スピン系の研究を行うために、試料として擬2次元系結晶を用いていたが、本当の2次元系での実験がしたくなり、酸素単層膜の実験をスタートした。酸素分子を黒鉛上に一層だけ吸着させて、その磁気相転移の様子を調べるという実験であったが、吸着系の実験はド素人であったため、困難を極めることとなった。数年間、まともなデータを出すことができず、当然、論文も書けないという状態が続いた。有り難いことに、当時のボスであった教授からは、論文を書けという圧力はほとんどなかった(少しはあったか)。さすが大物は違うなと思ったが、今だといくら大物でもこうはいかないだろう。しかし、不思議なことに科研費だけは貰い続けることができたので、遅々として進まない実験も亀の歩みのような進展があり、とうとう長い夜が明けるような実験結果を得ることができた。当時の科研費審査システムはよく分からないが、アイディアはあるが結果を出せない若者に対し、よくサポートを続けてくれたものだと感心している。今、そんな審査ができているだろうか。
   助教授の頃、大学から大学共同利用機関に異動したこともあり、これまでの研究には区切りをつけて、新しい研究を思いっきりやりたくなった。放射光という夢の光を浴びるほど使える環境にあった。ビームライン改造を許可して頂いたので、立ち上げ実験と称して何ヶ月もビームラインを占有して実験を行うことができた。放射光X線磁気散乱という手法を用いて磁性研究に着手していた。しかし、ここでも長い夜が待っていた。有機系物質からの磁気散乱強度を計算したら、ビーム強度が2桁ほど足りないようだけど、まあ気にせずやってみようというような乗りだったので、まあ当然の結果かもしれない。試料に放射光を当てすぎて、気が付くと試料に穴が空いていたというような経験もした。当時、一緒に研究していたポスドクからは、「村上さんはホームランばっかり狙って、目がスタンドを向いていて球を見ていない(ので三振ばかりする)!」と言われていた。しかし、そんな時にも科研費だけは私と共にあり、ついに基盤研究(B)の中で、瓢箪から駒のような実験結果が出てきた。共鳴X線散乱法を使って、遷移金属酸化物の電荷秩序を観測しようとしていたら、軌道秩序まで観測出来てしまった。全く狙っていなかった結果で大変驚いた。そのシグナルがコンピューターの画面に出たときの朝の事は良く覚えている。上記のポスドクには「バットさえ振ってたら、当たるときには当たるんや!」と指導しておいた。これをネタに多くの仲間達と基盤研究(A)の中で共同研究を展開することができた。
   教授の頃、大学に再び戻ってきたこともあり、放射光だけでなく中性子も利用した構造物性研究を展開しようと考えた。基盤研究(S)を申請して、大学での基礎実験装置や中性子散乱装置の充実などを図った。大学では多くの学生と研究を行ったが、この科研費が大いに役立った。大学での研究の多くはうまく行かなかったが、本来、研究とはそういうものであるし、それでも諦めずに挑戦していれば、いつか何とかなるということを学生には伝えたかったが、伝わったかどうか自信はない。失敗に次ぐ失敗の中で、挑戦を支えてくれる科研費であり続けて欲しいと切に願っている。
   その後再び大学共同利用機関に異動し、軟X線領域での共鳴X線散乱装置の整備を基盤研究(S)で行った。この装置の立ち上げには随分と苦労した。とうとう研究期間中には研究成果を上げることができなかったが、その後の共同研究者の粘りによって、やっと最近良い成果が出始めた。振り返ると、私の研究はうまくいかない事だらけであったけれども、結局はうまくいかないことが面白く感じられ、楽しんできたような気もする。しかし、もう一度やり直せと言われたら、丁重にお断りしたい。
   「私と科研費」への執筆を依頼され、さて何を書こうかと考えたとき、日本学術振興会学術システム研究センターの主任研究員をしていたためか、「デュアルサポートの重要性」「多様性の確保:ボトムアップ研究の推進」「科研費の成果とは:長期間波及効果」「科研費を取りにいくという間違い」「科研費基金化の有り難さ」「挑戦と成果最大の矛盾」「学術システム研究センターの真実」等々、沢山のテーマが頭に思い浮かんだ。しかし、そのような事はきっと他の方がずっと上手に書いているだろうと思い、上記のような超個人的な経験談(自己満足)にした。本稿を読んで頂いた方の時間を無駄にしてしまったならば、どうぞご容赦下さい。

※所属・職名は執筆時のものです。

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