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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.83(平成27年12月発行)

「不斉自己触媒反応の開拓と科研費」

硤合(そあい) 憲三 先生
そあい けんそう
硤合 憲三
東京理科大学理学部・教授

平成27年度に実施している研究テーマ:
「不斉自己触媒反応を活用したキラル化合物の不斉起源の研究」(基盤研究(B))

科学研究費補助金の特色は,予算規模が比較的小型のものから大型まで多様な種目があり,研究者の自由な発想に基づき,その時々に応じて適切な種目に申請できることであると思う。私は研究者になってから,次年度に継続課題がある場合以外は原則として毎年科研費を申請してきた。科研費は,これまで私の研究の大きな支えとなってきたので,研究経過と併せて紹介したい。
   左手(実像)を鏡に映すと右手(鏡像)の形になるが,両者は重ね合わせることができない異なるものである。また,野球の左手用グローブには左手は合うが右手は合わないし,日常生活で私たちは靴の左右を区別して用いている。生命を構成している重要な化合物には,アミノ酸のように実像と鏡像の関係にあって重ね合わせることができない(すなわち結合を切って組換えないと重ならない)ものが多く存在し,これを不斉(均斉でない意味)であると言い,その化合物は鏡像異性体と呼ばれている。不思議なことに,すべての生物には実像と鏡像の2つの鏡像異性体のうち,アミノ酸は左手(L-)型が,糖類は右手(D-)型のそれぞれ一方の鏡像異性体のみが圧倒的に多く存在している。このように生物は不斉な分子から成り立っており,しかも全ての生物が左手(L-)型アミノ酸という同一の鏡像異性体から構成されているという生体分子の不斉の同一性は,生命の大きな特質の一つである。右手どうしの握手は円滑にできるが,右手と左手の握手は不都合であるのと同じく, 右手型と左手型の生体分子が不規則に結合して形成されるタンパク質や遺伝子はその構造が変化し,酵素作用および遺伝情報伝達が正常に発現しないので生命活動が維持できない。また,左手用グローブは左手と右手に対する相互作用が異なるように,生体は不斉な分子から構成されているので,不斉な構造を持つ医薬品は2つの鏡像異性体では生体に対する活性が異なる。そのため,一方の有用な鏡像異性体を選択的に合成できる不斉合成が化学分野で重要な研究課題となっている。
   一方,最初の不斉な有機化合物はどうやって生成したのか,さらに生じた不斉な有機化合物がどんなプロセスで一方の鏡像異性体のみに偏ったのかという不斉の起源は,160年以上前から関心を持たれ今日に至るまで未解決の謎とされている。有機化合物の不斉の起源として無機結晶である水晶や円偏光等が提唱されているが,それらにより有機化合物に誘導される不斉は極めてわずかであり,生命に見られるような一方の鏡像異性体に至るプロセスは知られていない。
   私は,東京理科大学で不斉合成の研究を長年行ってきた。通常の化学反応では生成物の右手型と左手型が当量の混合物になる。これに対し不斉合成では,不斉な構造を持つ触媒(不斉触媒)を用いて,生成物の2つの鏡像異性体の生成比を一方に偏らせることを目論むものであり,いかに有効な不斉触媒を設計するかが鍵となる。科研費奨励(現在の若手)研究,一般(現在の基盤)研究C,重点および特定領域研究等の補助を受けて,ケトンの不斉還元反応,アルデヒドへの有機亜鉛試薬の触媒的不斉付加反応,イミンへの不斉付加反応および不飽和ケトンへの触媒的不斉共役付加反応等の研究を行った。
   これらの研究過程で以下の着想を得るに至った。もし不斉触媒が自分と同じ構造を持つ不斉な生成物を不斉合成できるならば,従来とは全く異なる原理に基づく「不斉自己触媒反応」が実現できるかも知れない。これが実現できれば,不斉な化合物が生命のように自己複製,自己増殖するので大変興味深い現象となるはずである。不斉自己触媒反応は,従来の不斉合成に比べて,生成物が新たな触媒となるので触媒量が増加し,従来法で見られる触媒量の減少,触媒活性の劣化が起こらない,さらに触媒と生成物の構造が同じであるので両者の分離が不要である等の優位性を持つと考えられる。しかし当時は,不斉な化合物が触媒となり不斉自己増殖する例は全く知られておらず,そもそもそんな反応が可能か否か全く未開拓であった。
   そこで,ピリジン環を持つ含窒素アルデヒドに,ピリジルアルカノールを不斉自己触媒として用いてイソプロピル基を持つ亜鉛試薬を作用させたところ,不斉自己触媒と同一構造の生成物が優先的に生成することが分かった(1990年)。これは不斉な化合物が自己増殖した初めての結果である。この頃に科研費重点領域(現在の新学術領域)研究にも参加させていただき,不斉自己触媒反応の開拓に強い意欲を抱きつつ,基質の構造を種々精査する研究を遂行した。
   多くの探索の結果,1995年に至り極めて効率的な不斉自己触媒反応を見出すことができた。窒素原子が2個であるピリミジン環を持つアルデヒドとイソプロピル基を持つ亜鉛試薬を,ピリミジルアルカノールを不斉自己触媒として用いて反応させたところ,不斉自己触媒と同一構造をもつ一方のみの鏡像異性体が効率良く生成することを発見した。さらに本反応は,鏡像体過剰率(2つの鏡像異性体の比率の差)が極めて低い不斉自己触媒を用いても,生成物の鏡像体過剰率が顕著に向上することが分かった。すなわち,初めに鏡像体過剰率が極めて低い不斉自己触媒から出発しても,(触媒と構造が同じ)生成物を次の反応の不斉自己触媒として用いる反応を繰り返すことにより,最終的に極めて高い鏡像体過剰率の不斉な化合物に到達する反応が現実に存在することを見出した。これらの成果は,基盤研究BおよびA,特定領域研究の採択につながり,研究を一層推進させることができた。
   さらに,不斉自己触媒反応を用いて不斉の起源の解明にも取り組んだ。水晶はキラルな鉱物であり,これを不斉開始剤としてピリミジン環を持つアルデヒドと亜鉛試薬を作用させたところ,水晶の不斉に相関した生成物が再現性良く生成することを見出した。これは水晶の不斉と有機化合物の一方の鏡像異性体とを関連付けることに初めて成功したものである。さらに円偏光を不斉起源とする反応や,統計的揺らぎを起源とする絶対不斉合成等を具現化させることができた。これらの研究では,大型科研費である特別推進研究および基盤研究Sの補助を受けた。国家から大型研究を負託された事を大いに意気に感じつつ研究に邁進した。
   以上,私は極微小の不斉からほぼ一方の鏡像異性体に不斉が増幅する不斉自己触媒反応を見出した。さらに水晶,円偏光および絶対不斉合成等を不斉の起源とする不斉自己触媒反応の研究を行った。本反応が現在ではSoai反応として化学,物理,生物,宇宙科学等多くの分野で引用言及されていることは,研究者冥利に尽きる。本研究は,研究室の多くの仲間の協力のお蔭で初めて達成できたものである。科研費が,これまで研究を支えてくれた事に深謝するとともに,我が国の研究者の自由な発想に基づく学術研究を幅広くカバーしていることは,国の礎として大変貴重な制度であり,後に続く世代の研究者がこれにより支えられるよう,一層の充実を祈念する次第である。

※所属・職名は執筆時のものです。

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