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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.74(平成27年3月発行)

「幸運の女神に彩られて」私と科研費

氣賀澤 保規 明治大学東アジア石刻文物研究所 所長
田中 啓二
公益財団法人東京都医学総合研究所 所長

平成26年度に実施している研究テーマ:
プロテアソーム: 動作原理の解明と生理病態学研究(特別推進研究)

研究に運と不運があることは、動かし難い事実であり、私は科研費に限ると、破格の幸運を掴むことができた。というのは、私は四半世紀以上にわたって途切れることなく大型の競争的研究予算を獲得でき、その大部分が科研費であったからである。科研費の採択率は時代の動向により折々に変動するが、概ね25%前後であるとすると、この厳しい採択率の状況で、研究費が不足して実験にゆき詰まったという経験がほとんどないことが、「幸運の女神に彩られて」という表題になるのである。具体的にいうと、私はライフワークであるプロテアソーム(巨大で複雑なタンパク質分解酵素複合体)の課題で、平成13年度から30年度まで4期連続、それ以前を含めると合計5回の「特別推進研究」に採択されてきた。このように記載すると、何か特別の手蔓があって、簡単に科研費を獲得してきたかのように思われるかもしれないが、地方大学出身の私に「天の声」のような支援が届くはずもなく、私は研究費の獲得には日頃より全神経を集中して取り組んできた。実際、採択の通知が届いた翌日から背水の陣を敷いて研究に取り組み、常に出来る限り上質の論文を多数執筆し続けることを、研究者の信条として心がけてきた。その結果、偶然にも申請時毎に予め計画したかのように国内外から注目を浴びるような独創的な論文を一流誌に発表することができたのである。また私に幸運が続いた外的要因としては、当初、生物学的重要性があまり注目されなかった私の研究分野である「タンパク質分解」が、その後、未曾有の発展を遂げ、生命科学の中枢の一翼を占めるに至った、という時代背景も深く影響していたのかも知れない。いずれにしても色々な偶然が重なり、科研費に支えられながら自由の赴くままに研究に専念できたことは、望外の幸せであった。
    私はことあるごとに論文執筆の重要性を主張してきた。研究者の自己実現が論文執筆によってしか成し得ないと考えるからである。しかし最近、(倫理性のある)論文執筆の薦め、と書くことが多く、括弧書きが必要になってきたことは、時代の趨勢とはいえ残念の極みである。捏造、改ざん、ひょうせつなどの論文不正は、科学が誕生した当初から脈々と受け継がれてきた負の遺産であるが、昨今、特に生命科学の分野で数々の研究不正が顕在化し世間のひんしゅくをかっている。一般に、いわゆる一流誌の審査制度が厳格である(実際、NatureやScienceなどへの論文掲載は、それ自体簡単なことではないが・・・)とはいえ、真贋を見分けることは、骨董や絵画と同様に科学論文においても容易でないのである。そして研究不正の実態解明には、途方もない時間と無駄な労力を要し、例え欺瞞の真相が暴かれたとしても、関わった研究者の将来を閉ざすことと後世への教訓以外、これらの努力を購う一遍の価値も見出せないのである。学術に携わる全ての関係者たちは、不正論文が歴史の淘汰に耐え得ることは絶対にあり得ないことを強く意識する必要がある。私は、研究不正は極めて個人的な資質によると思っているが、その奥底に潜む倫理性の欠如がサイエンスの世界に蔓延しつつある状況を目の当たりにすると、現在の生命科学を牽引してきたシニア研究者たちが性善説に立脚した不作為によって今日の状況を招いたことを省察し、今一度、倫理教育を見直す必要があると思っている。
    さて不正論文が横行する原因の一つとして名誉や出世欲の他に競争的研究資金を獲得するためと喧伝されることが多いが、この本末転倒な論理を正当化とすることは許されないことである。優れた論文を執筆・発表することは、学者としての当然の矜持である。同時に、優れた論文を執筆・発表することによって、研究者がその地位を向上させるのは当然であり、研究費はその結果として獲得できるものである。研究費の獲得に過度の競争があることは否めない事実としても、これを不正要因とすることは言語道断である。勿論、科研費が採択される最大のポイントが論文の数と質という業績であることを考えると、不正を行ってでも研究実績を高めたいという誘惑に唆されることがあるかもしれないが、科学者はこの一線を絶対に超えてはならないのである。この規範を維持するためには、科研費の採否において公平・公正な審査制度を確立することが何よりも重要であり、信頼できる審査制度の充実がなければ、論文不正を糾弾することはできないと思われる。また、評価における論文偏重について、この傾向が強いことはやむを得ない現実であるとしても、上質の論文は、研究遂行能力を諮る尺度としては首肯できる。しかし審査の主眼は、本来、過去の業績への評価と同時に未来への期待を評価することであるはずである。実際、論文重視の評価は無難であるが、時代を変革する卓越した研究者の育成という観点からは、一考の余地があるように思われる。現在、科研費の審査の大部分を多忙な現役の研究者たちに委ねている状況にあるが、この制度は研究者の自己啓発という有効な狙いがある一方、審査に正確性を欠き公正性が損なわれている側面があるとすれば、見過ごせない問題を孕んでいると言わざるを得ない。高齢化社会の今日、退職し時間を持て余している有能な研究者たちが巷間に溢れているので、これらの方々に審査の一翼を担って頂くという制度の創成を、私見として提案したいと日頃より思っている。
    「科学技術の振興こそが資源に乏しい日本の発展を支える基軸である」という分かり易い論理を背景に、科学研究は無秩序に奨励されてきた側面がある。実際、科学技術の発展が、富を生み、国力の増進に貢献してきた例は、多々存在する。しかし忘れてならないことは、一時の富の累積のための科学の振興ではなく、寧ろ未来に富を生み出すことが期待される人材の養成のために科学は振興されるべきである。人材育成のためへの資金の投入は具体的な利益を生まないので無駄であるかのように錯覚しがちであるが、社会発展の永続性を根底から支えるために、科研費はこの一見無駄な研究に絶対的に費やされるべきであるというのが私の主張である。面白いことに、社会貢献を全く意図せずして実施された基礎研究が、後に巨額の資産を生む研究に発展することの多くの例は、科学史を繙けば、随所に抽出できる。比喩的に言えば、真の科学力とは、いかに無益な研究に研究費を投じられるかであり、此処に科研費の使命があると思われる。科研費が目的指向型のトップダウン型研究費(Mission-operated Fund)でなく、自由な発想に基づいたボトムアップ型の研究費(Curiosity-driven Fund)であることは、素晴らしい哲学であり、研究成果を技術(=冨の増産)に求めるばかりでなく、科学(=知的好奇心の追求)そのものに価値を求めることが、大志を持ち夢に溢れた次世代の育成に最も重要である。現世的な利益追求を旗印に技術革新を標榜しすぎて、科研費削減という愚を決して犯してはならないことを、我が国の発展のために繰り返し強調しておきたい、と思う次第である。

※所属・職名は執筆時のものです。

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