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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.72(平成27年1月発行)

「私の研究を支えた科研費と共同研究」

北川 源四郎 システム研究機構 機構長
北川 源四郎
大学共同利用機関法人情報 システム研究機構 機構長

平成26年度に実施している研究テーマ:
「科学的政策決定のための統計数理基盤整備とその有効性実証」( 基盤研究(A) )

1970年代に20歳代半ばで国立研究所の研究者になった私は、今から考えれば恵まれ過ぎた研究環境におかれていた。研究所には統計数理の分野では世界一の大型計算機があり、共同研究で多くの現実課題に触れることができた。上司の研究を手伝うどころか、プログラミングをやってくれる研究補助員さえいるほどだった。こんな環境では、特別に研究費を獲得する必要は全くない。唯一問題だったのは、海外旅費だった。研究所では、海外の一流雑誌に挑戦し、海外の学会で発表するよう指導されていたが、当時は若手が海外旅費を獲得することは至難だった。自費で出かけることも厭わなかったが、幸いなことに多くの場合、内外の誰かが助けを出してくれた。
   そんなわけで、科研費と出会ったのは、研究所に入って数年も経ってからだった。特定研究に参加し、私は時系列解析のソフト開発を担当することになった。集中的に取り組んだのはわずか1年程度だったが、モデルも計算法も評価規準も世界最先端のソフトウェア開発を担った経験は、その後の研究者人生の大きな財産となった。ソフト開発では論文では得られない多くのノウハウが必要であり、完成した時には時系列解析法の細部まで熟知できたという感覚を持て、この時初めて世界に通用する研究者になれたという自信が持てた。
   これが認められたのか、招待を受けてアメリカに滞在することになった。1年目は中南部の大学で標準的な確率論と最先端の時系列解析の講義をして過ごしたが、その時の縁で2年目は東部の国立研究機関で自由に研究をすることができた。この間、20歳近くも年上の研究者と1年間の共同研究を行い、自分としても驚くほど多くの成果が挙がって、私は研究者人生の第一のピークを迎えることができたのである。
   1982年に帰国すると、日本でもPCの時代が始まっていた。統計数理の研究者にも研究費が必要な時代になったが、この時も研究所の先輩が科研費の分担者にしてくれ、立派なPCを購入してくれた。濡れ手で粟のPCだったが、結果的には私にとって最も長く活用し、最も役に立った研究機器となった。このPC画面で結果を図示しながら、大型計算機で計算するワークステーションのような使い方ができるようになり、研究効率が飛躍的に向上した。もちろん、当時の大型計算機の速度は現在のスパコンの100万分の1程度だったが、統計分野では世界一の計算環境だった。こんな環境で、世界中で使われてきたカルマンフィルタを非線形・非正規分布の場合に拡張する新しい方法を開発することができた。
   非線形への扉を開くこの論文は、アメリカ統計学会でも特別セッションが開催されるほど注目を浴び、私自身としても最も思い入れの深い論文である。しかし残念ながら、一般の研究者へは期待したほど普及しなかった。手軽さに欠けていたことが原因であろう。統計的モデリングでは、考えられるモデルを次々に試してみる必要がある。いくら見事な結果が得られる方法でもその度に、面倒なプログラミングが必要な方法ではやっていられないのだ。もっと簡単な方法はないものか?──私がその回答を思いついたのは、全く別の共同研究を行っていたときだった。すでに5年以上の歳月が経過していた。
   1990年代になって40歳も半ばを越えた私は、この論文を含めいくつかの異なる分野で重要な結果を発表することができ、研究者人生第二のピークを迎えることができた。そしてちょうどこの時期が私にとって、科研費を最も利用した時期と重なっている。現在よりも重複制限が厳しくなかったこの時代には、3つの科研費に採択されることもあったし、また国際学術研究でアメリカの研究機関との国際共同研究を6年間推進することもできた。科研費で海外旅費が使えるようになったのもこの時期だった。 お蔭でこの時期にはもう、海外出張で困ることはなくなっていた。
   2000年代になると統計数理の世界もグループ研究の時代になり、また人材育成の必要性からも研究者は大型の競争的資金を狙う必要が生じてきた。しかし、ちょうどこの時期に50歳を越えたばかりの私は、思いがけず研究所の所長に任ぜられ、以来、研究所の研究費には腐心しても、自分の研究が科研費以上に大型になることはなかった。かくして、私の統計数理の研究は研究所の基盤的経費と科研費の基盤研究だけで完結することになった。もちろん科研費と並んで、これまで有意義な研究生活が過ごせたのは、様々な分野の研究者との共同研究ができたおかげであることも見逃すことはできないのだが。
   2010年代になると、審査・評価第1部会長や科研費委員会委員長として、科研費の審査や運営に関わることになった。この逆の立場に立つと、長らくお世話になった科研費が、多くの研究者のピアレビューに支えられて成り立っていることが改めて実感できる。さらに科研費委員会に参加して初めて分かったことは、学術システム研究センターが中心となって、毎年科研費のシステムを検証し、その審査方法や制度自体を改善し、進化し続けていることである。この真摯な努力には感謝と尊敬の念を覚えざるを得ない。
   現在、我が国では国立大学の運営費交付金が年々削減され、基盤的経費は極限まで縮小されようとしている。その一方で、競争的資金の出口志向はますます強まっている。そのような中で科研費は、研究者の自由な発想に基づくボトムアップの学術研究を支える最後の砦として、ますます重要な役割を担っている。
   科研費のますますの充実を願わずにいられない。

※所属・職名は執筆時のものです。

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