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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.62(平成26年3月発行)

「アフリカでの28年の水田Sawah研究を支えてくれた科研費」

島根大学・名誉教授 若月 利之先生
若月 利之
島根大学・名誉教授

1986-9年、JICA(国際協力機構)専門家として、ナイジェリアの国際熱帯農業研究所(IITA)に派遣された。この間、西・中部アフリカ15ケ国、サヘル帯からギニア湾岸のマングローブ帯まで、全域にわたって稲作地帯の水・土壌、そしてアフリカ型稲作システムを調査した。4輪駆動車による走行距離は地球一周を超えた。又、ナイジェリア中部のビダ市付近のニジェール川低地で、農民の自力で可能な灌漑水田開発と水田稲作を試行した。私はこれにより「水田はアフリカを救う」、水田稲作の推進によって、アフリカの緑の革命は実現することを確信した。

しかし、水田稲作文化のない欧米系研究者の理解は得られなかったし、日本でも「水田帝国主義」との批判や「水田は研究対象ではなくて単なる開発業務」である。この地で一般的な「非水田稲作を陸稲と勘違いしての陸稲重視」、「灌漑と水田の混同」、英仏語に水田概念がないため「モミ(Paddy)と水田(Sawah)の混同」、さらに「陸稲品種ネリカの逆風」等、「種々の誤解」があり、アフリカの稲作振興戦略は迷走してきた。

アジアの緑の革命の「基本技術」は、稲塚権次郎が1935年に育成した半矮性小麦農林10号である。それは米国占領軍を経てN.Borlaugの手に渡り高収量品種開発と緑の革命の「イノベーション」となり、氏は1970年ノーベル平和賞を受賞した。国際稲研究所IRRIのミラクルライスIR-8は農林10号の育種コンセプトを稲に適用した成果であった。その70年後の2003年、名古屋大学松岡信教授は半矮性sd1遺伝子を同定し高収量品種の「科学的基盤」を明らかにした。農学分野の科学研究、技術開発、イノベーションの関係を理解するうえで興味深い。

上述したように、私はアフリカの緑の革命の中心技術は「品種改良」よりは、水田のような「生態環境の改良」を行う温故知新型のエコテクノロジー(生態工学)であることを確信した(水田仮説)。その実証のためアフリカ稲作研究所(AfricaRiceコートジボワール)の研究員となるべく1989年の公募に応募した。最終面接は1990年6月ニューデリーであった。E.Terry所長とP.Matlon副所長との面接時の議論は「陸稲品種改良戦略」と「低地水田稲作戦略」であった。しかし、すでに陸稲研究をその後10年の戦略としていたAfricaRiceが私の提案を採用することはなかった。AfricaRiceはその成果として1994年アジア稲とアフリカ稲の種間雑種ネリカ品種群の育成に成功した。2003年の第3回東京アフリカ開発会議以降、日本政府はネリカ米普及の支援を強力に行った。しかし陸稲ネリカ戦略は現在失速状態にある。

AfricaRiceを不採用になった私は、島根大学で水田仮説を実証することにした。個人の自由なアイデアを基本とする科研費の海外学術調査が希望となった。しかし、1989年から91年度までの応募は3年連続不採択で、1992-3年が最初の採択となった。この初期の3年連続不採択で科研費は採択されにくいこと、応募書類の書き方は重要であることを学んだ。そのため一つの採択を得るために、3-4件の研究計画を毎年グレードアップしながら、また、適切な審査員に巡り合うよう、多様な分野を視野に入れて応募を継続した。この初期の失敗が糧となり、1992年以来2013年現在まで研究を継続できたと思う。又、研究は日本人だけでは不可能であるので、科研費と留学制度を併用して、これまで20人のアフリカ人研究者を博士レベルで訓練した。当初は日本人中心で、2002年以降は水田研究の中核部隊はガーナ、およびナイジェリア人となった。

水田稲作は私の専門の農芸化学の土壌学・植物栄養学以外に、農学、林学、農業工学、農林経済学が関係する。そのため、環境学の環境技術・環境材料、地域研究、境界農学等、広い領域で応募した。2003年度に基盤研究(S)が採択されたのは2回の不採択後であった。2005年に特別推進研究の応募を開始し、初年度は生態工学分野に近いとして理工系で応募したが、農学は生物系であるとして不採択。2006年度は生物系で応募したがアフリカ開発は人文・社会系であるとして不採択。2007年度の人文・社会系での応募でようやく採択された。そのときのヒアリングでは何故人文・社会系への応募をしたのかと聞かれたので、科研費の3つの系すべてを順番にトライし、人文・社会系にたどり着いたと返事したら、審査員の皆さんが爆笑された。人文・社会系審査員の視野の広さに感謝したい。

この特別推進研究により、温故知新型の水田Sawah 技術が生まれた。専門技術者でなくても、アフリカ農民の自力による灌漑水田開発を可能にする点に特徴がある。又、従来のODA方式の10-20分の1の費用で、かつ訓練が同時進行するので、加速度的に開発が進む(ことが期待できる)。アジアで1000年という歴史的時間で水田基盤が成立し、それが科学技術適用の基盤となったが、Sawah技術の社会実装により今後数10年以内に2000万ha 規模の灌漑水田開発が実現するイノベーションになる可能性がある。

水田仮説を実証する武器、Sawah技術の開発に28年かかったことになる。真の実証にはサブサハラ全域でSawah技術を社会実装する必要がある。科研費と社会実装の橋渡しが重要となる。何故、アフリカのみが水田のような農業基盤、従って国土基盤の形成が遅れ、科学技術の適用が遅れることになったかについては、恐らく過去500年の欧米の奴隷貿易と植民地支配の歴史が関わっていると思われる。ともあれ、アジアに遅れること半世紀、アフリカの緑の革命の萌芽は実現の歩みを始めた。

※所属・職名は執筆時のものです。

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