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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.60(平成26年1月発行)

「求められる深く広い基礎知識」

総合研究大学院大学・学長 高畑 尚之先生
高畑 尚之
総合研究大学院大学・学長

私にとって科研費といえば、平成16年度に採択された基盤研究(S)「環境との関係で冗長となった遺伝子の退化による生物の進化」が一番思い出深い。それまでの研究を集大成しつつ新機軸を打ち出した計画申請のつもりだったこともあるが、それ以上に専門分野に閉じずに意図した他分野との結合が評価されたことの方がうれしかった。この気持ちは、ますます細分化する学術研究や専門化する大学院教育のあり方にもつながる。

日本学術振興会(JSPS)の事業の一つにサマー・プログラムがある。前身まで辿ると、このプログラムは今年創設20周年にあたる。20年前といえば、科研費の総額が長年にわたって目標としていた1000億円の大台に近づいた頃であり、大学院に関しては重点化による量的な拡大が始まった頃である。サマー・プログラムは日本全国の研究者がホストとなって、米、英、仏、独、加の欧米主要5か国から博士号取得前後の研究者を夏期の2ヶ月間受け入れる事業である。いまでは毎年100名を超える参加があり、欧米の若手研究者との貴重な学術文化交流の場となっている。私は当初からこのプログラムのオリエンテーションや研究成果報告会の実施に携わってきたが、日本の博士課程の学生を国際比較する場ともなった。大きな違いは、将来の研究者に向けた成熟度とも言えるものについてであり、心構えや基礎知識の深さや広さといった基本的な事柄に関係する。

ところで「現代の高等教育」は、今年の7月号(IDE No. 552)で日本の大学院の現実を特集している。その中で、常盤豊審議官が提起した「グローバル化という黒船を前にして、我が国の大学院は、専門分野の枠を超えた教育の幅を広げることが不可避になっている」に強い共感を覚えた。この共感は丸山真男の「タコツボ型」批判を含めてのことだが、丸山以前からも学問の細分化、専門化には強い批判があった。例えば、夏目漱石が明石で行った「道楽と職業」と題する講演はよく知られている。細分化する学問を専門とする、あるいは道楽とする学者や博士は、自分の研究以外は何も知らない。だから博士の称号を断った。江戸っ子らしい啖呵に満員の会場は大いに湧いたという。しかしながらマックス・ウェーバーがいうことも正しい。学問に生きるものはひとり自分の専門に閉じこもることによってのみ、のちのちまで残る仕事が達成できるしその喜びも感じることができるからだ。結局、深さと広さという同時には達成しがたい知識が要求される。どちらにせよ個人的な知識には限界があるが、常盤論考は次のような言葉で結ばれている。「東日本大震災においても、個々の学問はその専門分野において懸命の精進を重ねているものの、(中略)、相互の連携を欠き、国としての総合力につながらないとの課題が露呈したところである。」個々人の知識の限界を前提としながらも、今日の社会の成り立ちには最先端の異なる知識の連携・結合が必須ということだ。

個人的知識のあり方を追求した一人にヘルマン・ヘッセがいる。ヘッセはノーベル文学賞を受賞した「ガラス玉遊戯」のなかで次のように述べている。「どのカスターリエンの研究所も、どのカスターリエン人も、ただ二つの目標と理想を知っていなければならない。すなわち、自分の専門をできるだけ完全に成し遂げることと、その専門を絶えずほかの分野と結びつけ、すべての分野と親密な関係を保つことにより、専門と自分自身を生き生きとした、弾力のあるものに維持することである。」理想郷を象徴する「カスターリエン」を我が国の大学(院)や研究機関に置き換えれば、ヘッセの言葉はそのまま各人へのよき指針となるとともに、課題とされている知識連携・結合の基盤となる。我が国の研究基盤を形成する科研費の審査にあっても、このような視点を一層重視すべきものであって欲しい。

自分の専門をほかの分野と結びつけるには、基礎知識に関する深さと広さが必須である。博士課程はそれを身につける絶好の機会であり、教育課程にはそうした仕組みを組み込んでおく必要がある。全国的な仕組みの一つは、科研費「特別研究員奨励費」が交付されるJSPS特別研究員—DC(PD)である。総合研究大学院大学でも、現在37名のDC(PDは8名)が採用され自立的な研究に励んでいる。加えて本学では学長賞を平成22年度に設けた。教育研究目標である「高い専門性と広い視野」を意図した学位研究を奨励するためである。対象は博士後期課程の1、2年次であり審査方針も特別研究員—DCと大差はないが、一つだけ特に配慮したことは研究業績に関することである。博士前期課程の研究業績は指導教員に対する研究補助の結果であってはならないとの想いから、学生の自立性・主体性を厳しく評価している。

元来、博士とは文字通りに深く広い知識を有するものへの称号であって、自分の専門しか理解できない「狭士」に対するものではない。この意味で大学院教育に期待されていることは、単純で当たり前のことである。すなわち、その称号にふさわしい人材を養成することだ。深く広い基礎知識に裏付けられた学位研究は、ときにはイノベーションに繋がる新しい知識を社会にもたらすだけではなく、グローバルに活躍する研究者を育成する有効な方途である。大学院教育における課題は、学位研究に専念するまでの教育のあり方であろう。教育改革や意識改革が進み、我が国の大学院から先進国の博士候補者と対等に渡り合える人材が輩出されることを願うこの頃である。

※所属・職名は執筆時のものです。

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