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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.46(平成24年11月発行)

「魚肉の研究、基礎と応用の狭間で」

北里大学・海洋生命科学部・教授 渡部 終五先生
渡部 終五
北里大学・海洋生命科学部・教授

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は大きな津波を引き起こし、また、これが原因で東京電力福島第一原子力発電所の全電源喪失の事故が起こり、放射能汚染が広範囲にわたった。この東日本大震災は、筆者が教育研究を行っている水産学の関連業界にも甚大な被害をもたらした。筆者は今までの研究から被害の低減に何か貢献できないかと思い、福島県水産試験場の協力を仰いで漁業者から放射能汚染魚を入手し、水晒しにより、魚類筋肉に蓄積された放射性セシウムが5%程度にまで減ることを明らかにした。魚肉の水晒しは蒲鉾を含む水産練り製品を製造する一工程で、この工程で魚肉から色素や魚臭さなどが抜けて、白いつやを呈し弾力の強い蒲鉾が出来上がる。このように放射能汚染された魚肉から製造した規制値以下の放射性物質を含む水産練り製品を、消費者が受け入れてくれるかどうか不安はあるが、少なくとも漁業従事者に朗報をもたらしたのであれば有り難いと思っている。

 筆者は大学院生のときから魚肉タンパク質の研究を行ってきたが、その出口の一つは水産練り製品の技術革新である。蒲鉾は「足」と呼ばれる独特の弾力性が製品の善し悪しを決定づけているが、その分子機構は未だに不明である。伝統食品である蒲鉾は既に完成された技術で製造されていると考えられがちであるが、同じ工程で製造しているにも関わらず、ときに「足」の弱い製品ができてしまうなど、未だに多くの問題がある。一方、「足」形成の分子機構は良くわかっておらず、したがって、問題が起きたときには真の解決は困難である。もちろん多くの研究により、「足」形成が筋肉の主要タンパク質ミオシンの性状に由来することが分かってきたが、「足」形成中のミオシンの高次構造の変化を理解するには一次構造に基づく解釈が必要である。

 筆者が科研費を申請する分野は農学の中の水産学なので、いずれは水産業やそれに関連する産業に役立つ必要がある。また、そのような理念のない研究は科研費では採択されにくいと考えている。一方、応用ばかりを重視した研究を行うと、問題点が出てきたときに場当たり的な対応しかできず、真の問題解決には至らない。

 ミオシン重鎖につき遺伝子クローニングにより、一次構造解析に進むまでの研究を紹介する。高齢の助手になって、魚類が温度適応により、異なるミオシン重鎖を発現することをタンパク質レベルで明らかにした。こじつけで言えば、生息温度が異なる魚類が異なる死後硬直の進行速度を示すことを発見し、その理由を明らかにするために行った研究の成果による。本当のことを言うと、今は大親友となったイギリスのJohnston先生が温度適応により、筋原線維でATPase活性など生化学的変化が生ずること、また、その変化が筋原線維中の調節タンパク質のトロポニンの変化に基づくものであることを発表したことによる。新米の助手であった当時の筆者は、科研費の奨励研究の課題を採択されてミオシンの研究を始めており、トロポニンよりはミオシンの変化の方が重要ではないかと密かに思い、この仕事を行う機会を狙っていたのであるが、着手するにはそれから約10年の歳月を要した。この、温度適応、死後硬直、ミオシンのキーワードは筆者の分野では新鮮であったようで、それ以来、科研費の採択は順調であった。ただし、採択されなかった場合もあり、そのときの落胆は今でも鮮明に記憶している。また、科研費の更新には、いつも冷や冷やしながら吉報を待ちわびている状態であった。もし、採択されなかったら1年間、研究を休止しようといった具合である。

 その後、水産化学研究室から水圏生物工学研究室に移ったことにより、分子生物学的技術を駆使した研究分野を模索することになった。科研費によってミオシン重鎖遺伝子のクローニングに成功し、一次構造を演繹することにより、魚肉タンパク質の研究に大きなインパクトを与えることができた。しかしながら、「足」形成の分子機構に迫ることは未だにできていない。研究の方向を大きく変える必要があったが、折角、軌道に乗ったミオシン重鎖の研究と関連性を保つため、筋発生、筋成長に関連する仕事を開始した。今でもそうであるが、この方面の研究は転写因子の解析が主で、筋肉の主成分であるミオシン重鎖の発現変動を指標とする研究者は全くと言ってよいほどいなかった。一方、筋肉の成長速度は養殖魚の生産に重要で応用上でも価値があった。その結果、このテーマでも科研費のお世話になることができた。特に、当時、脊椎動物でヒトに次いで2番目に全ゲノムデータベースが公表されたトラフグを対象とした研究は大いに進み、現在でも、指導した学生が立派な研究者に成長し、この研究を継続している。

 その後、再び水産化学研究室に戻ったが、定年まで5年しかないという中、研究テーマを大きく転換して、食品化学的研究に復帰するために筋肉における脂質蓄積の分子機構に取り組んだ。筆者自身はこのテーマで科研費は申請していないが、教え子や共同研究者が科研費のお世話になっている。

 本年、私立大学に移ったが、新しい科研費の2つの採択課題、魚類の温度適応に関するものと、ヤマトシジミの塩分適応と食味に関するものについて、周りの研究者の助けを借りながら行っている。

 応用学問の分野では、研究テーマを現場から拾えと良く言われる。筆者も可能ならばその方が良いと思っている。事実、現場には多くのテーマが転がっている。もちろん目指す研究テーマが既にあるのなら、それを対象にするのは構わない。ただし、そのテーマが本当に応用的な側面を持っているかどうかを確認する必要がある。応用分野の学問としてのアイデンティティーを失わないためである。

※所属・職名は執筆時のものです。

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