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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.45(平成24年10月発行)

「科学研究費への思い」

大阪大学・大学院医学系研究科・消化器外科・教授 森 正樹先生
森 正樹
大阪大学・大学院医学系研究科・消化器外科・教授

 私は昭和55年(1980年)に九州大学医学部を卒業し、当時の第二外科(井口 潔教授)に入局した。それから今日に至るまで、主に3ヶ所の施設で外科医として診療・教育に関わる一方、癌を外科学の立場から研究する研究者として活動させていただいている。3ヶ所の施設は順に、福岡市にある九州大学医学部とその附属病院(1980-1994年)、大分県別府市にある九州大学生体防御医学研究所とその附属病院(1994-2008年)、そして大阪府吹田市にある大阪大学医学部とその附属病院(2008年-現在)である。

 臨床医が科学研究費に直面する機会は、基礎研究者に比べて大変遅いようである。それは臨床医の場合、大学卒業後に数年にわたる臨床修練が必要であり、その後の大学院を経て、ようやくスタッフ(常勤)に採用されるからである。スタッフに採用されるのは卒業後10年くらいが多く、この間、科研費を意識することは全くと言っていいほどない。私の場合、最初に直面したのは昭和62年で卒業後7年経ってからである。外科医としての臨床修練と病理学教室での大学院生活を経て、九州大学医学部第二外科教室に助手として採用された時である。それまでは研究に使用する器具代、免疫染色用の抗体代、フィルム代など必要なものはすべて、お上(教授)が用意してくれているものと思っていたが、この時に初めて、これらは自らが動いて初めて得られた研究費から賄われていることを知った。それまでは研究にかかるお金の心配をしたことがなく、外科教室の先輩スタッフが得た研究費で苦労することなく過ごしていたわけである。しかし、自分がスタッフになると様相は一変した。すなわち自分とその部下(研究生と大学院生)の研究費は基本的に自分で賄わないといけなくなった。外科教室であるから、製薬企業などから奨学寄附金があったと思うが、そのようなお金を使用させていただいた記憶はない。

 兎にも角にも科研費を取得しなければならない。しかし、新参者の私にとっては科研費の取得とは一体どのようにすれば成し得るのか、皆目見当が付かなかった。今のように大学として、あるいは学部として科研費取得対策がとられている時代とは違う。それまでに取得経験のある先輩スタッフに話を聞いてみた。結論として感じたことは、まずはタイトルが重要、次に実績が重要、そして研究内容と実施計画がきちんとしているかが重要、というものであった。その時点までに、英文原著論文が筆頭で4編程度の実績はあった。そこで、これまでの研究を踏襲しつつ、さらに発展する形にして申請すれば、うまく行くかもしれないと考えた。当時、膵臓癌では神経浸潤が問題になっていたが、直腸癌ではリンパ節転移や肝臓・肺などへの転移が問題視され、神経浸潤への関心は低かった。しかし、実際に切除標本を検索すると、神経浸潤は思いのほか多いことが分かった。そこで、どのようなタイプで神経浸潤が多いかを調べれば、直腸癌手術の際に神経温存手術が適切に行えるかの指標になると考え、このテーマで申請することにした。その結果、初めての申請は無事に認められ、自分の名前で科研費がいただけることになった。その時の喜びは今でも鮮明に覚えている。それからというもの、研究費の使用に関しては無駄をいかに省くかを真剣に考えるようになった。やはり自分で苦労しないと、節約をいくら若い研究者に叫んでみても効果はあがらない。逆を言えば、自分で科研費を取得できれば、自然と節約が身につくとも言える。そのため、今では申請資格を有する全員に科研費申請を義務付けている。そうすることで、実際にどの程度自分の研究に費用がかかるのかを把握できるようになると思う。

 歳を経るにしたがい、申請する一方で、審査にも関わる機会が多くなった。その中で平成16年からは日本学術振興会学術システム研究センターの医歯薬学専門研究員を拝命した。これは大変重要な仕事で、月に一回程度の会議が開かれる。少ないスタッフで手術などの臨床をしている立場からは、定期的な出席はなかなか困難と予想された。しかし、周囲の理解があり、ほぼ休むことなく参加できた。当時の取りまとめは内海英雄九州大学教授であったが、大変にてきぱきと指示を与えていただき、また、まとめていただいたので、仕事の全体像の把握、個々の仕事の位置づけなど、俯瞰的に把握することの良い訓練機会になったと感謝している。この役目にはいくつかの重要な仕事があったが、なかでも科研費の審査員を適切に決めていくのは最も大切な仕事であった。審査員の個人的な業績、専門分野、過去の科研費取得状況などのデータがインプットされており、それを踏まえて適切な審査員を選ぶ仕事である。このようなシステムを作られた関係の皆様には心から敬意を表するものである。なぜならばこのシステムにより、より客観的で公平な審査が可能となったと思えるからである。それまでは学会などからの推薦による審査員が審査を行っていたが、その中には本人が一度も科研費を取得した経験がない方が少なからず含まれていた。自分が申請をしたことがない方が、審査を適切にできるとは考えにくい。このシステムはこのような疑念を払拭するのに役立ったと思う。また、その機会に研究者の全国的分布や得意としている研究課題・研究アプローチなどを知ることもできた。

 日本の将来は医学・医療を含めた科学技術にかかっていることは論を待たない。科学技術の発展には研究が必須である。その研究を実質的に支えている科研費は国の将来を支える柱そのものである。科研費が将来を担うであろう、活力ある若い研究者に対して適切に配分されるように、審査員にも日々の精進が求められている。他方、審査員の選任は前述のように客観化され、良い仕組みができているが、今後も本業を有する研究者に審査を依頼する今のシステムを続けるべきかは、議論の必要があろう。なぜなら審査は量、質ともに片手間で行うには限界が来ているからである。専門の審査員を養成する必要性は多くの有識者が求めることと思う。課題は多いにしても、議論をスタートさせないといけない時期に来ていると考えている。近い将来には専門の審査員により、より良い審査が迅速に行われることを願う。その結果、科研費の助成が認められた研究から、発信された成果が、今まで以上に日本と世界の科学技術の発展に貢献すると期待している。

※所属・職名は執筆時のものです。

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