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科学研究費助成事業

制度概要

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.17(平成22年6月発行)

「特定研究、重点領域研究、そしてフィールド・ワーク」

国際日本文化研究センター・所長 猪木 武徳先生
猪木 武徳
国際日本文化研究センター・所長

 振り返ると、わたしの研究関心は40年以上大きく変わることはなかったが、研究スタイルや方法は年齢と共にかなり変化して来たように思う。米国で博士論文を書き終えて、30間近かの歳で日本に戻った。帰ってしばらくは、30代半ばを過ぎるまでもっぱら外国の思想や歴史関係の書物を読むことが中心となった。勤務した大学で、経済思想のほか、労働経済学を講義していたため、ときおり簡単な統計処理を伴う仕事をすることもあった。

 洋書の購入はすべて月給とボーナスから捻り出していたから、家内にはずいぶん迷惑をかけたと思う。入手可能な本はできる限り自分で買って読むことにしていたので、図書館を利用する機会は多くなかった。その結果、既読のもの未読のものを含め、わが家は本で一杯になり、梁、桁、床は重力との激しい戦いを強いられることになる。

 個人研究費で書籍を購入しても、定年と共に図書館に返却ということになる。それはそれで身辺がすっきりする。しかしやはり本は自分にとって親のようでもあり、子供のようでもあり、自分自身の一部とも言えるから、自分のお金で購入し私有してきたのは、やはりよかったと思う。これが典型的な人文学や一部の社会科学の研究スタイルなのではなかろうか。

 簡単なデータを集めて統計計算をする場合でも、現在のように千単位、万単位の個票データを用いて推定・検定の仕事をする時代ではなかった。したがって多くのアシスタントを雇う必要もなかった。自分でパンチカードに入力できる程度の計算内容のものを、学内の大型計算機センターに持って行って統計処理をしてもらうというのが30年以上前までの一般的な仕事のスタイルであった。「お金は要らない、時間さえあれば」、というのどかな時代だったのである。

 ただそんな時代でも、「科研費はいいものだ」と痛切に感じた記憶がある。「文化摩擦」というテーマの大規模な科研費「特定研究」のプロジェクトに、当時京都大学の東南アジア研究センター所長でいらした市村真一先生に誘っていただいたときであった。当時の班編成と組織のメモがないので正確さを欠くが、メンバー10人前後の班を15近く組織する大研究プロジェクトであったと記憶する。この「特定研究」全体で、200名近い人文・社会科学の研究者が動員されていたのではなかろうか。コンファレンスにはすぐれた外国からの研究者も招き、議論と楽しい懇親の場を持てたこともよかった。

 特定研究の全体集会は学術的コミュニケーションと社交の場としても実に有益であった。この集会で、自分の所属する学会では決して会うことのない、さまざまな隣接分野の研究者達と知り合いになれたからだ。この異分野交流はその後のわたしの研究に大きな影響を与えたと思う。

 こうしたフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを可能にするような「分野をまたがる」大プロジェクトにその後も参加する機会があった。当時東京大学におられた渡辺昭夫先生が中心となって組織された科研費「重点領域研究」『戦後日本形成』である。このときも人文・社会科学の研究者達の、学会と大学を超えた学術的な社交の重要さを改めて認識したのである。

 人文学・社会科学の分野で問題関心を共有して共同研究を組織することは難しい。しかし共同研究が何か新しい概念、領域、問題などの発見や開拓にすぐには結びつかないとしても、異分野の研究者同士のフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションができる場が与えられるという事自体、各分野の問題意識を深めるために極めて貴重なのである。

 その後30代半ばから、わたしは外国や日本の研究者と一緒にフィールド・ワークを行うことにかなり時間を使うようになった。小池和男教授がリーダーとなったタイとマレーシアの工場調査も、科研費「総合研究A」と他の外部資金を組み合わせてようやく実現した研究であった。大量のデータ処理によって数量解析を行う「装置産業」のような研究手法を除くと、人文学・社会科学の分野で多額の研究費を必要とするのは、こうした外国でのフィールド・ワークであろう。

 ところが50も半ばを過ぎたころから、わたしは再び書斎に戻ってしまった。外国でのフィールド・ワークが肉体的にきつくなったというだけでなく、このころから科研費の支出報告も形式要件が厳しくなり、使い勝手もやや窮屈になったからだ。科研費を不適切に支出する輩がいるからには、監視が厳しくなるのは仕方がない。さらに歳とともに科研費と縁が薄くなったのは、若い有能な人がもっと自由に研究費を使うほうが、日本全体のためにいいのではないかと感じはじめたからだ。

 外国で科学研究費補助金に類するグラントの審査を経験した理系の研究者が、日本の科研費の審査は諸外国に比べると公正だと洩らしていたことを思い出す。地方大学に籍を置く地味な研究者も、力があれば研究費を獲得できるという点でも、「科研費」は大変フェアな競争的資金なのである。

 ただ、「お金よりも、時間が欲しい」と嘆いている多忙な文系の研究者や、わたしのような無精者の高齢研究者にとっては、大学や研究所の中で配分される最低限の個人研究費という制度は大変有り難いといまは感じている。

※所属・職名は執筆時のものです。

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