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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



最新号 No.115(平成30年9月発行)

「科研費がパイオニアワークを育ててくれた」

山極 壽一 先生
山極 壽一
京都大学総長、日本学術会議会長、国立大学協会会長

私が初めて科学研究費補助金の恩恵にあずかったのは、京都大学理学研究科大学院の博士課程の頃である。修士課程の頃は、京都大学霊長類研究所の共同利用研究費をいただいて、日本列島各地のサルの外部形態や社会構造を調べて歩いていた。それが一段落してやっと修士論文を投稿すると、指導教員の伊谷純一郎先生からアフリカでゴリラの調査をやってみないかと声をかけられたのである。二つ返事で私はゴリラをやることに決めた。ニホンザルより人間に近い類人猿の調査をやってみたかったし、チンパンジーはすでに多くの先輩たちが調査をしていた。ゴリラは1950年代の終わりに日本の霊長類学者たちが初めて調査した類人猿でありながら、アフリカの独立戦争で調査の中断を余儀なくされていた。しかも、私が関心を持っていた「人間家族の起源」を探る上で、最適な調査対象と見なされていた。
   しかし、1970年代の日本の類人猿調査はチンパンジーと、それに近縁で20世紀にコンゴ盆地で新しく発見されたボノボに集中していた。ゴリラをやっている日本人研究者などいない。そこで、伊谷先生はボノボの調査隊を組んでいた琉球大学の加納隆至先生に頼んで、私を隊の一員に加えてもらうことにした。私が調査をしようとしていたゴリラも、ボノボと同じコンゴ民主共和国(旧ザイール)に生息していたからである。私は加納先生の科研費による海外学術調査の分担者の一人として、他の3人の隊員といっしょにコンゴへ向かったのである。
   コンゴの首都キンシャサで他の隊員と分かれた私は、それから1000キロメートル以上離れたブカブへと単身で旅をし、そこでカフジ・ビエガ国立公園の管理事務所や現地の村人たちと交渉しながらヒガシローランドゴリラの調査を実践していくことになった。あちこち訪ねまわっては情報を集め、チームを組んでゴリラと出会える森を歩かねばならない。この時、威力を発揮したのがキンシャサで購入したモーターバイクだった。隊長の加納先生の計らいで、モーターショウに出品されていたホンダの125ccを安値で譲ってもらえたのである。数年前にボノボを求めて自転車でコンゴ盆地を踏破した加納先生が、バイクというすばらしい足を私に与えてくれたのだ。おかげで私は現地の若者たちを後ろに乗せて悪路を走り回り、願ってもない調査を展開することができた。
   この調査でゴリラの2集団の動向を調べて論文を一つ仕上げたものの、とてもゴリラ社会の本質に迫る体験はできなかった。しかし、また加納隊のお世話になるわけにはいかない。そこで私は、伊谷先生の勧めに応じてケニアにある日本学術振興会のナイロビ事務所(当時のアフリカ地域研究センター)に駐在員として勤務することになった。日本から訪れる研究者たちの便宜を図る仕事をする傍ら、ルワンダ共和国のヴィルンガ火山群に生息するマウンテンゴリラの調査をしたのである。ここのゴリラはアメリカ人のダイアン・フォッシー博士の下で研究されていて、よく人に馴れていた。ようやく私は学位論文を書ける対象に巡り合うことができたのである。2年間の勤務を終えた後も、その給料を使って私はヴィルンガへ戻り、調査を続行した。
   通算約2年間のゴリラ調査の資料を携えて帰国した私は、財団法人日本モンキーセンターにリサーチフェロウとして就職した。5年間の任期付の職だったが、私はここで研究員、学芸員として、ときには飼育現場にも参加する業務の傍ら、じっくり資料を分析して学位論文を執筆しようと思っていた。しかし、モンキーセンターではニホンザルの保護や猿害防除、飼育霊長類の展示や福祉といったさまざまな問題に直面し、さらに再びニホンザルやゴリラのフィールドワークへの強い思いがこみ上げてきた。でも資金はない。そこで、科学研究費や様々な財団の助成金に応募することにした。
   ところが、まず科研費をと思って探してみても申請書類が見当たらない。当時は文部省から大学や研究機関に申請手続きと申請書が送られてきていた。なぜだろうと思って直接文部省の学術国際局に電話をしてみると、「モンキーセンター? 何ですかそれは、コロニーのようなものですか?」というそっけない返事が返ってきた。憤慨して、モンキーセンターは文部省が認可している学術団体であるはずだと突っ込むと、調べてくれた結果、「7年前から応募が途絶えているので、書類を送付していない」という答えだった。そこで、文部省まで出向いて研究活動の進捗状況について報告し、やっと申請にこぎつけた。私にとってははじめての海外学術調査の申請で、しかも代表者というとんでもない立場であったが、ゴリラとチンパンジーを同じ場所で調査するという新奇な計画が功を奏したのか、運よく助成を受けられるようになった。
   当時の科研費は7月にならないとお金を使えず、早期に渡航しようとすると銀行から無利子でお金を借りねばならなかった。霊長類研究所の所長をされていた河合雅雄先生の口利きで、地元の銀行から数百万円を融資してもらったことが懐かしく思い出される。以後、昨年まで途切れることなく科学研究費をいただくことができ、ゴリラ研究を軌道に乗せることができた。私も単独調査からチームでの調査に切り替え、日本や海外の同世代の研究者と多様な共同研究を行うことができた。科学研究費がなければ、業績も金もない私のような若者が新しいテーマで海外学術調査を実施することはできなかっただろうと思う。おかげでゴリラに対する理解も、ゴリラの目を通して人間社会の由来に対する理解も深まった。とても感謝している。今後も、意欲ある若者たちの希望を叶えるべく、広く科研費を配分していただきたいと願っている。

※所属・職名は執筆時のものです。

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