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科学研究費助成事業

制度概要

私と科研費

 「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです。

 毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



No.11(平成21年11月発行)

「日本の学術の未来可能性を切り開くカギ」

人間文化研究機構・総合地球環境学研究所長 立本 成文先生
立本 成文
人間文化研究機構・総合地球環境学研究所長

 私のたずさわってきた地域研究というのは、現地に行き、長期にわたって社会調査、観察、測量などのデータ収集をすることが基本である。同じようなフィールドサイエンス(臨地研究)には、生態学や文化人類学などもあるが、地域研究は学際的な共同研究であるので、文系の領域では比較的金食い虫である。京都大学の東南アジア研究所は1965年に地域研究を専門とする初めての研究センターとして設置されたのであるが、その初期の活動の財源はフォード財団からの寄付金と日本の財界からの援助があって、臨地研究を大々的に行え、文部省の支援で海外に連絡事務所を置くことができた。

 この初期投資のお陰で、臨地研究による文理融合という、その後の地域研究の歩みの基礎が整ったと言える。初期投資後の臨地調査の駆動力が、そのころからどんどんと整備拡大されていった科研費である。科研費の発展は、一つには先端的・先導的な領域の支援であり、もう一つには裾野の拡大という二つに分けられるかもしれない。後者では、東京外国語大学のAA研(アジア・アフリカ言語文化研究所)に科研費の海外調査班が設けられ、臨地研究の発展に大きく寄与してきた。これがあったから、生態学、人類学、地理学など関連諸学の臨地研究が成り立っていったのだと思う。しかし、地域研究を先導する役割を担わされたのは、比較的大型のカテゴリーの科研費であった。

 私が最初に大型の科研費プロジェクトに入れていただいたのは、確か1977年度から始まった、その当時では大型科研費の、特定研究「文化摩擦」である。それから、重点領域、新プログラム、特定領域、COEなどとめまぐるしく新しいものが生まれてきているが、1990年代にはこれら大型科研費の選考側にまわることが多く、地域研究が科研費によって興隆する様を見ることができたことは本当に喜ばしい。その後、人文社会系だけが関わるにはあまりにも巨額の科研費のカテゴリーが創設されている。もちろん人文社会系的な科研費の在り方というのは常々議論 されているが、一部には文理融合的な学際研究に参入できるように、人文社会系も変化する部分があって良いとは思う。

 

 科研費の審査体制もずいぶんと透明性を増し、特に大型科研費の審査が日本学術振興会に移されてから、審査の公平さということでは格段に優れたものとなったことは疑う余地もない。ただ、学術政策を推進する上では公平さだけでは無理があり、俯瞰的な審査もできる体制が、特に大型科研費の場合は必要とされよう。学術創成研究費のように推薦制の形を取るのも一つの形であるが、一般の人には見えにくいように思える。先のフォード財団のように民間の財団が重要な一翼を担ってくれればよいのであるが、残念ながら日本における財団は、学術政策を先導していくだけの体力はないようで、この意味でも科研費は日本の学術にとってなくてはならないものであろう。

 私自身の経験では、1975年に「アジアの原像」という科研費プロジェクトに入れていただいて、これが契機になってインドネシア調査の見通しが立った。1977年度には研究代表者として、10数人以上のメンバーからなる「湿潤地域におけるイスラームの比較研究」という研究計画を申請して採用された。審査にあたった先生から、本当にこのプロジェクトをやっていくつもりなのかというお話があったのを覚えている。しかし、この年に文部省から外務省へ出向させる文化アタッシェのポストが在インドネシア大使館にでき、その初代の一等書記官として私がジャカルタに出ていくことになった。そのため、無念な事に、私はこのプロジェクトの代表者を交代しメンバーからも降りざるを得なかった。

 大使館(外務省)勤務から京大に戻って、あらためて「熱帯島嶼域における人の移動」という20人以上のメンバーを巻き込んだ3年計画の海外調査の学際プロジェクトを申請し、幸いに採用された。1980年のことである。3年計画とはいうものの、この頃は連年の海外調査は認められず、報告書をまとめる一年を開けて、隔年の調査であったので、期間としては5年にわたるプロジェクトであった。このプロジェクトが私の共同研究の原点となったことは確かであり、東南アジア研究センター(当時)の東南アジア島嶼部研究の海外調査、ひいては重点領域、COEなどにつながっていったのではないかと思っている。少なくとも科研費において、現場での文理融合という共同研究のスタイルを定着させるものであった。

 日本の学術の未来可能性は科研費によって開かれる。大型、中型、基盤というカテゴリーによる評価基準の差異化をはかり、それぞれに適切な評価体制の充実が緊要であろう。

 

 

※所属・職名は執筆時のものです。

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