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科学研究費助成事業

研究概要・成果

私と科研費

「私と科研費」は、科研費の広報活動の一環として、これまで科研費によって研究を進められてきた方々や現在研究を進められている方々の科研費に関する意見や期待などを掲載するため、平成21年1月に新設したものです

毎月1名の方に原稿を執筆していただいています。



最新号 No.94(平成28年12月発行)

「私と科研費」

出口 利定 先生
出口 利定
東京学芸大学 学長

「私と科研費」というタイトルでエッセイを書いてほしいと依頼があったとき、一瞬、受けるべきか否か迷いました。しかし、これまでの大学教員としての研究生活を振り返ったとき、科学研究費補助金の助成があったからこそ研究を続けることができたことを思えば、どこかの時点で恩返し?しておくことも必要と考え、お引き受けした次第です。また、1970年代後半~80年代前半にかけて大学院修士課程~博士課程の学生として所属していた研究室で、科研費の申請手続きから採択後の補助金の執行、最終報告書の作成と一連の作業を目の当たりにし、これが私が科研費の力を肌で感じた最初の出会いでした。今から三十年余前の時代の科研費申請時の連日の緊迫感、採択されたときの安堵感・・久し振りに当時を懐かしく回想する機会も、このエッセイを書くにあたって得られました。

   大学院生の時の研究テーマは、健常児と聴覚障害児のピッチ感覚(音の高低感)に関するもので、学童期における各種の刺激音に対する閾値を求めるものでした。そのためには刺激音を適切に制御し発生させるための装置が必要ですが、当時はコンピュータによる実験全般のコントロールは大掛かりで可搬性がなく、独自の装置を作製しなければ実験はできませんでした。東北大学電気通信研究所の比企静雄助教授(当時)の研究室が私の居場所で、先生の指導のもとに、まずは刺激音の発生装置つくりから始めました。シンクロスコープの掃引回路、関数発生器への制御電圧を広範囲にわたって選択できる制御信号選択回路を組み合わせ、標準音と比較音の基本周波数、基本周波数の変化量、変化の方向(上昇、下降)、持続時間、応答のための休止時間、純音と各種の複合音の切り替えなど、ダイヤルの設定によって任意に選択できる装置を完成させました。心理系の私には電気工学の知識はゼロでしたが、先生の指導方針は一貫して「他者に頼ることなく全て自分で」と大変厳しかったため、同じ研究室の工学系の院生より装置の作製時間はかかりました。しかし、この経験は私の研究者としての基礎をつくってくれたと感謝しています。この研究は全面的に科研費の補助を受けて遂行されたもので、計り知れない恩恵を受けました。

   この経験をもとに東京学芸大学に職を得てからも、研究室の大学院生には将来を見据えて科研費申請に対する考え方を指導し、時には一緒になって徹夜で私の科研費申請書類を元に議論したものでした。卒業後、大学教員や研究者になった早々に彼らから大型の科研費採択の知らせを受けたときは、これからは独り立ちしていけるなと確信する瞬間でした。東京学芸大学着任時、日本では乳幼児の音声知覚、音声言語の発達についての実験的研究は皆無であり、生後間もない乳児の聴覚的能力の発達を知る必要もあって、早速、吸啜(きゅうてつ)反応を指標とした乳児の知覚実験を開始しました。吸啜とは、乳児が母乳等を吸う時の口の動きのことです。乳児の吸啜反応は聴覚的な刺激を受けると変化し、それが吸啜回数に反映されることから、各種音声、特に母語と非母語の韻律的情報の識別、日本語音韻体系には存在しない音韻の識別、言語音と非言語音の識別等、広範囲にわたって乳児の聴覚的能力を定量的に評価しました。吸啜回数の測定は様々な方法を試しましたが、最終的には空の哺乳ビン内部の空気圧変動(波形)をセンサーでとらえ、コンピュータに接続して波形のピークを計測することで正確な吸啜回数を測定できました。吸啜回数を測定する装置はもちろんのこと、今日程に発達していなかったパソコンでアナログデータをデジタル化しディスプレイ上に1分間ごとの吸啜回数をグラフ化して表示するまでには多くの時間と経費を必要としましたが、科研費の補助を受けられたためできた研究でした。苦労したのは協力してくれる新生児、乳児を探すことでしたが、国立小児病院(現・国立成育医療研究センター病院)、杏林大学附属病院の耳鼻咽喉科の先生方には多大なご協力を頂きました。私の二男は生後11日目からこの実験の被験者として、ほぼ毎日大学へ通ってくれました。

   この研究の成果は医学系、認知心理学系の研究者から注目され、東京大学医学部・桐谷滋教授を代表者とする科研費・重点領域研究の研究分担者(計画研究班)に加えて頂きました。ここでの研究では、毎年十分な研究費が配分され、当時、乳児の音声知覚研究で世界的に有名なワシントン大学(シアトル市)のP. Kuhl教授のもとで実験手法を学ぶ機会にも恵まれました。以後、ワシントン大学とは共同研究を行うまでに発展し、P. Kuhl教授及びそのスタッフには約1ヶ月にわたって東京学芸大学で行う実験施設のセッティングをはじめ、実験のノウハウをご指導・助言して頂きました。この一連の研究を通して国内はもとより、海外の研究機関とのネットワークが作られたことは大きな収穫でした。同じ研究分担者であった、京都大学霊長類研究所・小嶋祥三教授、同・正高信男助教授、神戸市外国語大学・河野守夫教授、東京大学医学部・新美成二教授、同・今泉敏助教授とは科研費終了後も何らかのつながりがあり今日に至っています。

   東京学芸大学着任当時は科研費を申請する教員は少なく、また、申請書類作成も煩雑でした。しかし、今日の大学運営費交付金の減少、外部資金の獲得の奨励と相俟って、大学として科研費申請のための説明会を開催し積極的な応募を促しています。その成果として、平成27年度の新規採択率上位30機関のうち、東京学芸大学は第11位(国立大学では第3位)でした。大学教員に願うのは、指導する大学院生には早期から科研費の「有り難味」を理解させ、彼らに科研費活用のDNAを引き継いで頂きたいということです。

※所属・職名は執筆時のものです。
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