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拠点大学交流事業

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タイとの共同研究から生まれた「耐熱性微生物」の広がり

松下 一信

私どもは、平成10年度から10年間の予定で、山口大学を拠点大学とし、タイ国のカセサート大学を相手側の拠点として「拠点大学交流事業」をはじめた。この事業は、現在、我が国28大学104名、タイ国23大学135名の参加大学と参加者を擁するまでに広がり、予想外に大きな組織になってしまった感がある。同時に、こちらも予想外に多くの有益な「耐熱性微生物」が分離され、その機能開発もすすんで大きな成果が得られつつある。交流開始からの中間点が過ぎ、昨年度末に私どもの活動は中間評価を受けた。実は、その評価が、良くも悪くもたいへん的確であることに驚かされた。いわく、「全体として、たいへん優れたプロジェクトとなっている。その第一の理由は、タイ国を相手とした共同研究プロジェクトの課題として「耐熱性微生物」をとりあげた点にあると考えられる。これによって、双方にたいへん有益なプロジェクトとなることが約束されたといってよい。すなわち、タイにとっては、関心の高いバイオテクノロジーの分野でタイの研究者が日本の進んだ技術・知識を学ぶ絶好の機会であり、一方、日本の研究者には、タイというフィールドで未知の微生物を探索する機会が提供された。その結果、双方で多数の研究者が参画する一大プロジェクトになった。」まさに、その通りであり、私どもが自信を持っているところを的確に評価された。また、逆に、私どもが最も心配し今後解決をしなければならないと考えていたことも的確に指摘された。「ただし、プロジェクト構成員数が多く、記載されたすべてのメンバーが本計画に有機的に参画し、所定の成果を上げているかどうか、……期限内に収斂するテーマと、将来に向けたテーマとを区分して、成果の具体的イメージを固めていく作業が今後必要であろう。」私たちとしてもまさにその絞り込みを検討している最中であった。
ここでは、「耐熱性微生物」とは何か。どのような成果が上がっているのか。今後、どのようにこの事業を展開しようとしているのか。について簡単に紹介したい。

耐熱性微生物とは?

「中間評価」も指摘するように、私どもの事業は、日本とタイの微生物学の研究者が共同で、「耐熱性」をもった微生物を分離し、それらの機能を分子レベルで解明するとともに、それらの耐熱性微生物がもつ有用な機能を利用する開発研究をすすめることを目的としている。
現在、世界中の多くの研究機関で、新しい機能をもつ微生物を自然界に探索する研究が盛んに進められている。これは、深海など極限の世界からの、これまで人類が遭遇してこなかった生物学的に全く新しい微生物(特に超好熱性始原細菌)の探索が中心である。しかし、私たちの交流事業は、それらの研究とは全く違う視点で、我々が古来より利用してきた有用微生物の中に、我々が見落としていた新しい能力「耐熱性」を持つものを探し出し、その有用な機能を利用することを目的としている。下図に示すように、「耐熱性」微生物とは、60度以上の温度をその最適の生育温度とする「好熱菌」や80度以上の高温を、時には100度以上の高温を好む「超好熱菌」とは異なり、いわゆる常温菌(中温菌)のグループの中にあって、その本来の生育温度より10-15度の高温でも活発に生育できる微生物を指している。そのため、「好熱菌」や「超好熱菌」と異なり、進化的には常温菌と同じ仲間に属しながら、環境温度に適応してその生育温度を上昇させた、ある意味で新しい、一群の微生物を意味している。
本研究を開始した当初は、そのような「耐熱性微生物」と頻繁に遭遇できるだろうかという不安があった。しかし、タイという亜熱帯環境の中での探索が功を奏して、予想外に多くの、しかもバクテリア(細菌)から酵母、カビにわたって広範囲の「耐熱性微生物」を見いだすことに成功している。私たち人類は古来からお酒、酢、醤油など、近年ではクエン酸発酵やアミノ酸発酵などに使われている乳酸菌や酢酸菌などのバクテリア、酵母やカビなどの微生物、また、土壌改良などに使われる土壌微生物や汚水処理などに利用される環境微生物など、非常に多くの身近に存在する常温菌を長年にわたって利用してきた。それらの有用微生物の仲間の中に「耐熱性微生物」を見いだし利用することができれば、それらの機能や発酵生産能が温度上昇のために損なわれることもなく、また冷却に必要とされる莫大な水光熱費を削減でき省エネルギーにつながる。加えて、それらの微生物が生産する様々な酵素や生理活性物質にも、これまでの常温菌にはない新らしい機能性が存在する可能性も期待される。このような微生物利用の視点に加え、私たちの研究は、生化学的・遺伝学的・進化学的に注目されているが未だ確立されていない耐熱性微生物を、好熱性細菌や超好熱性始原細菌と比較した生物学原理を明確にし、一群の微生物資源としての位置を確立することも目的の一つである。

私どもの交流は全体を五つのグループに分けて、それぞれグループ・リーダーを日本側とタイ側に置いて、活動している。簡単にいうと、(1)耐熱性の発酵微生物を研究するグループ、(2)耐熱性微生物がもつ酵素の利用や、その酵素による有用物質の開発を研究するグループ、(3)耐熱性微生物によって作られる生理活性物質を研究するグループ、(4)耐熱性微生物を利用した環境浄化の研究をすすめるグループ、(5)より有効な物質生産を目指した耐熱性微生物の遺伝子工学をすすめるグループである。これらのグループによる個々の活動に加えて、これまでに3回の合同セミナーをバンコック(1998年11月)、山口(2000年11月)、チェンマイ(2002年11月:下図にセミナー風景を示す。)で行い、今年は福岡で第4回目のセミナーを開催する。その他に、研究成果を外部に普及する目的から、タイのバイオテクノロジー学会(2002年11月)において「耐熱性微生物資源」のセッションを持ち、日本農芸化学会大会(2004年3月)ではシンポジウム「耐熱性微生物、その産業的利用をめざして」を開催した。
これらの共同研究の結果、これまで30度以上の温度では生育不良であると考えられていた酢酸菌、乳酸菌、コリネ型細菌、放線菌、酵母、藻類、海洋性微生物などに耐熱性微生物が存在していることが明らかになり、本来の最適温度よりも10度程度以上もの高温で良好な生育を示す予想以上に多くの種類の「耐熱性」微生物が、発見・分離された。その数は既に数百株にのぼる。これらの分離された耐熱性微生物のいくつかは新種の微生物として認められてきているが、同時に既知の微生物種でありながら「耐熱性」を示すものもあり、今後その分類学的興味とともに、その「耐熱性」原理を支配している遺伝学的背景の解析が待たれている。
このように多くの耐熱性微生物が分離されてきた背景には、「中間評価」にも指摘されたように、気象・地理条件が異なり、亜熱帯気候を有するタイ特有の自然環境とその環境下に存在する天然試料もしくは資源、さらにタイ独自の伝統的発酵食品などを対象とすることができるようになったことと無関係ではない。同時に、この成功は、タイ側研究者による精力的なスクリーニングの結果によるところが大きい。彼らは、この種の地道な研究を大変好んでコツコツやる。日本の若い研究者に失われた気風を充分にもっていることも私どもの事業に幸いしているのかもしれない。また、一部ではあるが、タイ奥地の少数民族の村でのサンプリングも行われ、貴重な生物資源や伝統的発酵食品からのサンプリングがタイ側研究者の協力で可能となったことも指摘しておく必要がある。このように、共同研究であるから当たり前ではあるが、タイ側研究者の努力が本交流事業の大きな支えになっている。
私どもの共同研究の内容も、現在では、耐熱性微生物の分離から、より発展したそれら耐熱性微生物の生理機能の分子レベルでの解析と、その有用な機能を応用に向けて開発する研究に移っている。これらの研究の中から、「耐熱性乳酸菌から分離された抗菌性新規バクテリオシン」や「耐熱性光合成細菌による有用植物成長因子5-アミノレブリン酸の生産」をはじめとして既に20件余りの特許申請がなされている。さらに、タイのエビ養殖場などの海水汚染の解決をめざしたプロテアーゼ生産能を有する光合成細菌やバイオマス廃棄物の分解を可能にするラッカーゼ生産菌やケラチナーゼ生産菌の開発といったバイオレメディエーション(環境浄化)への利用にも道を開く研究も着々とすすんでいる。

さらなる交流の発展をめざして

私どもの交流事業では、できるだけ若いタイの研究者に、しかもバンコックにある中心的な大学(カセサート大、チュラロンコン大など)だけでなく地方大学(チェンマイ大、コンケン大、ソンクラ大など)の微生物学者に、日本の研究室にできるだけ長く滞在して研究してもらい、実験技術の習得だけでなく、研究の進め方や考え方についても彼らが体得できるよう努力している。幸い、タイの研究環境もかなり改善され、日本の研究技術や哲学も浸透して若手の優秀な研究者が育ってきている。
私どもの事業は成果の結実の時期をこれから迎えることになるため、「中間評価」にも応えるように、今後は共同研究、研究者交流の計画を精査し、メンバーやグループを絞り込みながら、より成果の挙がる体制を整えて展開してゆく予定である。今後は、相容れない性格をもつ「特許」と「論文発表」の生産をうまく両立させながら、本拠点交流から生まれた「耐熱性微生物」のアイデアもしくは技術を、一つでも社会に送りだすことを目標として、タイの人たちと共同研究を展開してゆきたい。


松下 一信(まつした・かずのぶ)
山口大学農学部 教授
本記事は「学術月報Vol.57 No.9」に掲載されたものである。