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拠点大学交流事業

関連資料

熱帯性感染症の新興・再興の要因とそれに基づく防除対策

高木 正洋

背景

かつて熱帯病は熱帯固有の環境にねざした風土病でした。また温帯も含めて感染症の流行には流行地特有の環境が指摘出来たものでした。ところがその様相が次第に変わりつつあるようです。地球温暖化や人と物資の往来の頻繁化は、マラリアやデング熱の流行を北へと広げる危険性を孕んでいます。熱帯の国々における急激な近代化は、それに一歩先んじた日本など温帯先進国の感染症を、南の国々にまで蔓延させる結果に繋がりかねません。また開発に伴い未知の病原体や変容を遂げた新しい病原体株が人類の前に現れてきています。自然と社会の変化が病原体と宿主の関係を大きく変えつつあるといえましょう。この傾向はアジアにおいて特に顕著であり、温帯と熱帯、先進国と開発途上国に跨った熱帯性感染症に係る共同研究の立ち上げが望まれていました。

事業のスタート

日本はもとよりアジアの一員でありアジアにおける新興・再興感染症の脅威に無関心ではいられません。 また先進国を自認する限り進んだ科学技術によって問題解決の先頭に立つべき責任も負っています。 一方ベトナムは熱帯アジアの中で開発と近代化が急速に進んでいる代表的な国です。 この2国の代表的な感染症研究機関と研究者が協力して熱帯感染症が流行する根本の要因を科学的に追求し、 新しい防除対策の確立を目指したのがこの事業です。日本側拠点として長崎大学熱帯医学研究所(以下、熱研)が選ばれました。 熱研はその総合目標の中で、達成すべき項目として①熱帯医学及び国際保健における先導的研究、 ②研究成果の応用による熱帯病の防圧ならびに健康増進への国際貢献、③上記に係る研究者と専門家の育成、を謳っています。 この事業の担い手となることは上記三項目何れの達成にも繋がる道に違いなく、熱研は事業開始の2000年来研究所を挙げて その推進に努力してきました。ベトナム側拠点は日脳ワクチン自生事業やデング熱防圧対策を通じて熱研・分子構造解析(ウイルス学)分野と 永年に亘り協力関係を築いてきたベトナム国立衛生疫学研究所(National Institute of Hygiene and Epidemiology=NIHE)になりました。 無論、この壮大な事業が熱研とNIHEのみで完遂出来るものではありません。両国の大学、研究所から多数の感染症研究者が参加下さっています。 その数は、今年度の場合17大学、18部局、84名(日本側)、11研究所・組織、89名(ベトナム側)に上ります。 両国の研究者は、メジャーであり、両国の研究者間に研究の素地があり関心も深く、かつ両国にとって重要な感染症であることを考慮して 選定された4小課題、①蚊媒介性疾患に関する研究(マラリア、デング熱、日本脳炎)、②急性呼吸器感染症に関する研究(SARSを含む呼吸器感染症)、 ③腸管感染症に関する研究(消化管寄生虫症とコレラ)、④人畜共通感染症に関する研究(狂犬病、ハンタウイルスなど)の下で、 環境と変異の関係を意識しつつ共同研究を続けています。

写真1 ハノイで開催した第2回国際セミナーの1セッション(2002年11月)
写真1 ハノイで開催した第2回国際セミナーの1セッション(2002年11月)

成果

開始以来4年を経た現時点で得られている学術的成果について網羅するのは紙面の都合上不可能ですが、 一部について手短に挙げておきます。日本脳炎では囮のブタを設置し、ウイルスに何時感染するのか一年以上監視しました。その結果、 北部では4~6月を山としウイルスの活動が通年見られること、また従来ベトナムにはなかったアジア南部や太平洋諸島型のウイルスがみつかり、 流行ウイルス株の遷移が広域で進行していることをつきとめました。媒介蚊の方でも新しい媒介蚊種の関与が浮上してきました。 一方、同じく蚊媒介性ウィルス感染症のひとつであるデング熱では、調査地固有の遺伝子型をもつウイルスが見つかり、 航空機等によるウイルスの広域移動とは異なる土着型流行の繰り返しが示唆されました。マラリアでは、困難を伴うラオス国境に近い 山間僻地での濾紙採血と質問表によるマラリア流行調査、薬剤耐性試験、GPSによる住宅のマッピング等から、住民の罹患原因は多様なこと、 少数民族のマラリアに曝される頻度が高いこと等が明らかになりました。小児の急性呼吸器感染症(ARI)に関しては、ハノイの病院で患者の 臨床病歴を調べたり、痰、鼻汁を採取、培養し、菌を分離して薬剤感受性の測定と薬剤耐性遺伝子を調べました。その結果、患者の多くは1歳未満、 起炎菌決定法は妥当、多剤耐性化が顕著、等を明らかに出来ました。腸管寄生虫症では、糞便検査、生活習慣調査、土壌、埃中の虫卵検査を行い、 住民が回虫に37。8%、鞭虫に65。2%、鉤虫には8。9%が感染しており、土壌の61。7%、埃の39。2%が汚染されている実態が 判明しました。また、コレラ研究グループは、2002年の保存菌株が1995、2000年のそれと異なり全てST合剤感受性であることを 見つけました。狂犬病についてもホーチミン市動物健康局の病獣から得た狂犬病ウイルスの遺伝子がこれまで報告されていたアジア地域のいくつかの 株とは系統的に異なる事実をつきとめました。このように病原体の変異実態を中心に注目すべき新しい知見が次々に明らかになりつつあります。 国際セミナーも長崎とハノイで2回開催しました。更に世界が益々ウイルス等による感染症勃発の脅威に曝されつつあること、ベトナム側には これらの防圧に直接関わった共同研究者がいること、一方で熱研が21世紀COE「熱帯病・新興感染症の地球規模制御戦略拠点」に指定されたこと等を 考慮し、第一期最終年度にあたる今年度は、COEプログラムと共催の形で、新興・再興のウイルス感染症の現状、疫学的成果、診断・治療・対策の 最前線を公開しあう場を中心に据えた国際セミナーを企画しています。このようにこの事業はこれまでのところ蚊媒介性感染症関連の共同研究を中心に、 個別には順調な学術的成果を挙げつつあります。

写真2 日本脳炎媒介蚊の主要発生水域である水田の水質を共同で検査する(2003年6月)
写真2 日本脳炎媒介蚊の主要発生水域である水田の水質を共同で検査する(2003年6月)

今後の問題と展望

この事業は2004年度(本年度)で第一期の5年を終了します。新しく更なる5年の展開が 期待されるところですが、その際に克服すべき問題も見えてきました。それは各グループの個別研究課題の成果を越え、大課題に応え得る 統合された成果をどう見通すか、という問題です。この克服にはデータの共通化が強く望まれます。具体的には、対象とする何れの感染症においても、 分子疫学的アプローチは従来のままに、自然的、社会的環境要因の解析をより意識的に追求する必要を感じます。このアプローチにより、 ともすればバラバラになりがちな各小課題の追求目標の整合性と、流行に係る環境要因分析に有効なデータベースの共有・共通化が期待出来ます。 そうした時初めて研究成果を地域の感染症予防と対策に活かせるようになり、事業が熱帯医学の発展に寄与し、国際的な社会貢献を果たしたことに なるのでしょう。


高木 正洋(たかぎ・まさひろ)
国立大学法人長崎大学熱帯医学研究所 教授
本記事は「学術月報Vol.57 No.6」に掲載されたものである。