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拠点大学交流事業

関連資料

アジア地域における新興再興感染症に関する分子疫学的研究-東京大学とマヒドン大学(タイ)との拠点大学交流から-

山本 一彦, Joseph Green

1.はじめに

タイとの拠点大学方式による交流事業の立ち上げには、現在、京都大学大学院医学研究科教授として転任された福原俊一教授(当時は東京大学)がさまざまな方々の面談を企画・調整され、計画案を組み立てられました。福原俊一教授ご本人からのお話と、残されていた記録をもとにして記載いたします。
1998年4月頃より日本学術振興会より、10年間の長期にわたる拠点大学交流の計画案を募集するとの話があり、それまで、東京大学大塚柳太郎教授をはじめ、牛島廣治教授、若井晋教授が、タイのマヒドン大学(当時、元東京大学教授のSom-arch教授が在籍されていました)との連携を深めようとさまざまな努力をされていた時期でもあり、「この交流事業に私たちの計画案が採択されれば、ちょうど良いタイミングで、マヒドン大学との大学間交流が実りあるものに深めることができる」と学内の諸先生方の賛同も得られました。すぐに日本側のメンバーは固まり、同時に計画案の研究テーマも決まりました。タイ側も、当時のマヒドン大学・Athasit学長は、大変な親日家であり、私たちが作成した計画案に賛同してくださいました。
拠点大学交流の計画案としては、1999年まで、東京大学とマレーシアとの間の学術交流で実施されていた研究者交流中心の方式を改め、今回のタイとの拠点大学方式による交流事業においては、当初より明確な目的を持った共同研究プロジェクトを中心に据えることとしました。具体的には3-4の共同研究プロジェクトを企画・立案し、これを約3年間継続し見直しを行うこととし、日本側が企画や実施においてイニシアチブをとり、日本側の研究者にとってもメリットがあるような対等な研究協力を目指すこととしました。また、それぞれの共同研究にあたっては、基礎医学、臨床医学、社会医学などの多くの分野の専門家が協同して実施できるような広がりを持った研究プロジェクトを企画することとしました。さらに、研究テーマの選定にあたっては、両国の保健医療にとってできるだけ大きなインパクトをもつようなテーマとして、感染症およびこれに関連する諸問題としました。この理由としましては、 (1)感染症に関する研究は、分類、病因、臨床的重症度や予後を規定する感染源側と宿主側の諸要因、治療法の開発、治療耐性の問題、感染と治療耐性に対する対策など多岐にわたっています。 (2)また途上国と先進国で主要な問題となる感染症の種類が異なるものの、共通する問題も少なくないのが現状です。 (3)今日の感染症およびその周辺領域の研究プロジェクトにおいては、一専門分野の研究者だけではプロジェクトの実施は困難なことが多く、基礎医学、臨床医学、社会医学、などの異なる分野の専門家がコンソーシウムを形成し、multi-disciplinaryなアプローチをとることが必要となります。以上の3点に加えて、先方(タイ)側も同じく「感染症関連の研究」を研究テーマとすることを強く希望していたため、「感染症およびこれに関連する諸問題」を交流事業の研究テーマとして1999年4月より、開始されました。

2.学術交流の特色

(1)感染症に関して

感染症は一国にとどまらない国境を超えた保健医療問題としてその重要性、その広範性において、またその深刻さにおいて、急速にその重要性を増しています。例えば1999年に本プロジェクトで取り上げた新興・再興感染症(AIDS、マラリア、O-157、など)や、薬剤耐性菌などはそのもっとも典型的なものです。さらに、その後、BSE(牛海綿状脳症)、SARS(重症急性呼吸器症候群)そしてトリインフルエンザをはじめとする新興・再興感染症の勃発もあり、この意味で今日程、感染症の問題に国際的に、また学際的にアプローチすることが重要である時代はないといえます。日本を含む先進国においても、新興・再興感染症の問題は21世紀における内科学領域の最大の課題のひとつになると考えられていますし、抗生物質が効かない薬剤耐性菌出現の問題は緊急性が高いとともに先進国・途上国の共同研究により解決がはかられる点に特徴があります。

(2)共同研究の枠組みとこれまで得られた成果

2004年4月は本拠点大学交流事業が始まってちょうど5年間が終了した時期にあたります。その5年間の自分たちの成し遂げた成果をまとめますと、英文原著論文は34編、国際学会発表は15題、国内学会発表は4題でした。
拠点大学交流事業では、図1に示しますように、初年度は日本人23名、タイ人37名で始まりました。年とともに、やや参加者数は減少し、2003年度は日本人22名、タイ人26名が交流事業に参加しています。

図1 当交流事業参加研究者数の変遷
図1 当交流事業参加研究者数の変遷

詳細については、中間報告書に記載いたしましたが、要約をここに記載いたします。

  1. (A)院内感染および薬剤耐性菌に関する研究(代表:平松啓一、Somwang Danchaivijtr)
    新しい抗生物質が次々と開発され、また臨床の現場で、抗生物質が長期間投与されるにつれて、耐性菌(抗生物質が効かない細菌:バンコマイシン耐性菌)による感染が大きな問題となっています。今回の共同研究では、日本、ベトナム、インド、タイ、フィリッピン、シンガポールの耐性菌と、オーストラリア、フランス、米国の耐性菌との動向を調べ、それを阻止・抑制することを目的として進められ、耐性菌の拡大に関与する諸因子を明らかにしました。
  2. (B)新興・再興感染症に関する研究(代表:大塚柳太郎、Sornchai Looareesuwan)
    マラリア感染者は、本邦ではきわめてまれですが、全世界では年間5億人が感染し、数百万人が死亡しているのが現状で、三大感染症としてその制圧が急務となっています。同じ種類のマラリア感染でも、重症化する人と、軽症で治癒する人との間のホスト側の遺伝子についての解析を行いました。今回の共同研究では、重症化に関して6種類の遺伝子を見い出し、またマラリア特効薬のメフロキンに対する新しい耐性遺伝子を明らかにしました。
  3. (C)アジアにおける母子感染症とその栄養・発育におよぼす影響(代表:牛島廣治、Wongkhomthong Som-arch)
    アジアの母子の健康にエイズ、デング熱、下痢症、肝炎などのウイルス感染症が大きな影響を与えており、迅速診断、治療薬やワクチンの開発のためにウイルスの性格と流行の基礎的な研究が必須とされています。母子感染症は子供たちの発育を妨げ、ひいてはその国の発展に多大な影響を与えることはいうまでもありません。今回の共同研究では、1回の検査で複数のウイルス(下痢症を起こすロタウイルス、ノロウイルス)を検出可能な方法を確立し、また食物の腐敗を引き起こす新種のノロウイルスを明らかにしました。
  4. (D)タイにおける感染症の民族疫学(代表:石田貴文、Winyou Mitarnun)
    癌(バーキットリンパ腫と鼻咽頭癌)の原因のひとつと考えられているエプスタインバーウイルス(EBV)感染の早期診断法を確立しました。さらにEBVの地理的、民族的に特異な分布に関する原因について研究を進めているところです。
  5. (E)HIV感染とエイズの進行における宿主-ウイルス間の遺伝的相互作用の研究(代表:松田文彦、Arunee Thitithanyanont)
    エイズは最も深刻な感染症のひとつであり、感染者数の多いタイでは社会的問題となっています。タイ側からの強い要請もあり、2003年4月より新しい課題として採択されました。感染者における症状の進行に影響をおよぼす要因としてのヒトとHIVの遺伝子間相互作用を特定することを最終目的として研究を進めているところです。
   
   
   
 
   
 
   
 

3.交流を行っていく上での苦労話

最も苦労した点は、研究面ではなく、先方(タイ)側の人間関係の問題でした。マヒドン大学内部での医学部と熱帯医学部との対立があり、また、付属病院においても医学部付属病院と熱帯医学部付属病院でも同様の対立があり、どちらかと交流を深めようとすると、もう一方からも同様の要望が出されるという状況でした。新たに学長に当選したポンチャイ理学部・学部長は2001年より、「交流事業の研究テーマを全面的に、自分の進めたい研究課題に置き換えたい」という提案を要求してきました。東京大学としては、「今回の研究テーマ(感染症およびこれに関連する諸問題)は、10年間の長期にわたる拠点大学交流の計画案として日本学術振興会より承認されたものであり、もし、マヒドン大学側の一方的な希望で異なる研究テーマに置き換えたいのであれば、その新しい研究テーマで、タイ独自の研究予算を獲得するか、あるいは新規に日本学術振興会に予算申請すべきである」と返答しました。しかし、「3年間終了の時点で個々の研究テーマを見直すこともある」との合意もあったことより、感染症に関連が深い 「HIV感染とエイズの進行における宿主-ウイルス間の遺伝的相互作用の研究」を2003年4月より拠点大学交流の計画に組み入れることとしました。これは、多くのエイズ感染者を抱えるタイにおいては、信頼性の高い診断システムの確立と効果的な治療法の開発は緊急な課題となっている事情もありました。

4.今後の展望

今後の5年間では、これまでに得られた結果をふまえ、さらにその進展を図るとともに、実際に両国の健康と福祉に貢献できる方策の提言も含め、基礎医学およびその臨床応用に関して実質的な成果を取りまとめる必要があると考えられます。以下に主要課題につきまして、その見込まれる成果を示します。
まず、(1)新興・再興感染症に関する研究につきましては、マラリア重症化に関わるヒトの遺伝子群、また宿主の生体防御反応をさらに明らかにすることによって、マラリアの感染から発症機序の理解および新しい治療法の開発が期待されます。ゲノムあるいは染色体全域を対象とする網羅的関連分析法を開始する予定であり、これと患者における免疫応答の詳細な解析によってより多くの遺伝要因が明らかにされることが期待され、患者の症状を遺伝的背景に適した治療の実現に大きく貢献すると考えられます(テーラーメード医療の開発)。さらにマラリア特効薬のメフロキン耐性という新しいタイプのマラリア原虫薬剤耐性に関わる遺伝子の解析から、普遍的な薬剤耐性発生の分子機序の解明に大きく貢献すると考えられます。
次に(2)アジアにおける母子感染症とその栄養・発育におよぼす影響に関する研究につきましては、小児の下痢症ウイルス感染と体重、栄養、精神の発達の関係が明らかにされれば、今後のタイにおける制圧プロジェクトの政策決定に重要な役割を果たすと考えられます。また、デング熱媒介蚊の動態に関する調査は患者発生予測に極めて有効であり、タイにおけるデング熱対策に威力を発揮すると考えられます。同時に個人レベルの対策(ネット使用、蚊よけ薬の使用)の啓蒙が必要となります。HBVに関しては、ワクチン・治療薬の開発を耐性ウイルスまで視野において行うことができ、肝炎の伝播ルートの解明と遮断に向けて医療・衛生環境の改善が可能となります。
最後に、最も成果が期待されている(3)HIV感染とエイズの進行における宿主-ウイルス間の遺伝的相互作用の研究につきましては、エイズ発症とその進行に影響を与えるヒトおよび病原体の遺伝子要因を明らかにするとともに、共同研究の積極的な推進を通して、ゲノム解析を用いた感染症研究の最先端の知識と技術の移転を行い、若手の研究者の育成を図ることを念頭において研究を進めています。
以上、述べて来ましたように本研究交流は、まだ第一段階を過ぎたところであり、「感染症とその周辺領域に関連する諸問題についてタイと日本が協力し、両国、アジアひいては世界の保健・医療の分野で診断、治療、予防を向上させる」という最終目標の達成のためにも、今後のたゆまぬ継続的な努力が極めて重要と考えられます。今後、タイ、日本両国の研究者の相互交流により、現在最も必要とされている、感染症研究を総合的な視点から推進することのできる研究体制の確立とこれを支える新たな人材の育成が最も期待されています。
1998年の本交流事業開始時に私たちが想定していた感染症はAIDS、マラリア、O-157、などでしたが、現在、最も注目されているのは、BSE(牛海綿状脳症)、SARS(重症急性呼吸器症候群)そしてトリインフルエンザをはじめとする新興・再興感染症であり、その勃発は、医療面のみならず、世界経済にも大きな脅威を与えています。現在、これらを含めて新興・再興感染症の問題が大きくクローズアップされ、世界的にも感染症研究の重要性が再び認識されるようになってきていますが、本交流のような基礎から臨床を含む国際共同研究を推進することによって単にわが国とタイの二か国にとどまらず、真に世界から認められる国際貢献が生まれるものと期待されます。


山 本 一 彦(やまもと・かずひこ)
東京大学医学部国際交流室長、教授

Joseph Green
東京大学医学部国際交流室 講師

本記事は「学術月報Vol.57 No.5」に掲載されたものである。