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拠点大学交流事業

関連資料

タイとの拠点交流はルースな構造の共同研究:いくつかのエピソード

阿部 茂行

ルースな構造とは

タマサート大学のシンボルであるドーム
タマサート大学のシンボルであるドーム

タイの社会の特徴を、1955年に人類学者のエンブリーは「タイ国—ひとつのルースな構造の社会体系」という論文で、その緩やかな結びつきにあるとした。そこには個人的行動のかなりの差異が許容される文化があり、義務のあり方も過度に個人の負担になるのは許されないような緩やかな社会構造がある。このルースさは国家にとっても、個人にとっても困難な状況や変化する環境に対して適応しながら生存していくという点で有効に機能しているという。京都大学東南アジア研究センターはタイのタマサート大学と2期目の拠点大学プロジェクトを平成12年度に立ち上げた。1期目と異なって、プロジェクト・コーディネーターにチームを組む研究者の選択権を与え、テーマは大きなアンブレラとなるようなものを選んだ。そのもとで、研究者が個別の小テーマを選び研究を深める。そのプロセスで連絡を密にしてお互いに刺激を与え、いいものに仕上げる、そして全体像が自ずと浮かび上がるような総合的共同研究を実践するアプローチをとった。士研究者が始終顔をつきあわせて、ともにフィールドで調査し、共同論文を書くというスタイルでなく、研究者同はあくまでも独立に研究を進めるが、しかし、コーディネーターを介してルースに結ばれ、全体として統一性のあるテーマを追い求めている、そういう研究組織を作ったのである。これは、多分に同分野の学者でチームを組むならしっかりした固定的な枠を組み、それに従い邁進すればよいが、異分野の学者が集まり、インターディシプリナリーにことをすすめようとする場合、自然とこうなったというのが当たっているのかもしれない。期せずして、地域研究をするにあたって、タイ社会独特のルースな構造を研究体制に応用し、地域の特性を研究に活かしたということである。こうしてはじまった拠点大学交流であったが、順風満帆というわけにいかず、ときおり、タイとのつきあいならではの出来事に出くわした。それらを紹介する。


2002年3月開催の拠点大学ワークショップの模様
2002年3月開催の拠点大学ワークショップの模様

ワークショップと初期の書類プロセス

拠点交流のひとつのハイライトがワークショップである。タマサート大学におけるそうしたワークショップも回を重ね、当初のぎこちなさはすっかり姿を消し、会場の設営、アルバイトの雇用、配付資料のコピー、内外への案内、レセプションの準備等、裏方の人たちともいまや阿吽の呼吸でことを運べるようになってきた。共同研究そのものも、プロジェクトごとに順調に進んでいるが、こうしたワークショップを開催するときに、相手側拠点大学の対応が一番気がかりになるものである。ワークショップの案内をどこまで広げて出すか、討論者をどう決めるか等々、相手側と交渉しつつ、本当にしっかりとやってくれるかどうか常に不安がよぎる。とりあえず、試行錯誤を重ね、やっとのことで安心できる体制を作り上げることができた。勿論、センター側の事務とタマサート大学側の事務が緊密に連絡をとりあうことがその前提にある。こうした共通のインフラはできあがり、今や、ワークショップを開催することに関して、世話役としての時間と手間は極度に小さくなってきた。なにより、開催することで、タマサート大学のスタッフと一体感が感じられるようになったことは大きい。
当初のぎこちなさと書いたが、先方も京都大学側も担当者が代わり、例えば、ビジット・プロポーザルの提出などでも、意志の疎通がうまく図れないことが多く、こうした書類がスムーズに通るようになるのに一年を要した。理由は第1期の拠点大学プロジェクトでは、ある程度タマサート大学側にも研究者の選択権を与えていたが、第2期ではあくまでもコーディネーター中心でことを運び、選択を研究担当者がすべて行うということにした点にあった。

研究者の関係を知ることの重要性

外交儀礼的なネットワーク作りならそれほど気にならないが、真剣勝負の共同研究となると、誰をチームに入れるかで苦労が多い。一つのプロジェクト内でも、またプロジェクト間でも、人選をしたあとで問題が起こってきた。一つのプロジェクト内での問題は、A教授とB教授、二人とも立派な研究業績があり、一緒にチームを組みたかったのであるが、程なくして両教授が犬猿の仲であることが判明した。A教授はB教授が入っているなら自分は加わらないという。いろいろ情報を集めてみると、A教授とB教授は10年来口を利いていないという。プロジェクトを組む前にこうした情報を把握しておくべきであったが、後の祭りである。結局、B教授に降りてもらうこととし、その代わり、東南アジア研究センターに外国人客員で来てもらうことで解決した。
プロジェクト間でも問題が起こった。おりしもタマサート大学でキャンパス移転問題が深刻な学内での対立を生んでいた。ランシットキャンパス移転推進の学長派と反対派とはマスコミを巻き込み、凄まじい中傷合戦をしていた。学長と反対派リーダー、そして学長派と反対派の主だったメンバーが東南アジア研究センターに集結、鉢合わせしてしまったのである。タマサート大のドメスティックな問題を京大まで持ち込んで欲しくはなかったが、双方とも一歩も譲らないほど熱くなっていて、ルースな構造もこのときばかりは、緊張の連続であった。コーディネーターは気が気でなかったが、なるだけおだやかに紳士的に対処するよう頼んでなんとか切り抜けた。

3月は拠点大学関係の訪問者で大わらわ

鉢合わせになったのにはわけがある。毎年、タイの研究者に日本を訪れる日程を聞き、調整をしているが、決まって、3月末になる。日本側からすれば3月末は学年末で研究者も大変であるが、事務は重要な案件の処理をかかえて、なお一層大変である。にもかかわらず、どうしても来日は3月に集中する。加えて京都は観光都市であり、宿の確保も難しい。予定を確認していても、平気で変更をする連中もいる。なるだけ、3月をはずして欲しいと要請はしているものの、タイの大学の休みは3月の中旬から4月の中旬までであるので、彼らにとっては、ことに日本以上に教育に時間がとられるので、この時期が一番都合が良いのである。一度は、3月中に来れば、帰りは4月にずれ込んでもいいというお墨付きをもらい、その旨連絡をするとほとんどが4月にずれ込む日程を組んだ。あとで、やはり3月31日までに帰国しなければいけないということになったが、それでも自費でしばらく居残る連中も何人かいた。彼らの切なる「3月、4月にまたがって来日できるようにして欲しい」という要望は、我々コーディネーターの要望でもある。独立行政法人化後の対応を期待している。
タイでは学長、副学長、所長、学部長等要職をつとめる彼らの研究室は広いが、京大にくると、六つのデスクを配した一部屋に押し込められる。あぶれたものは図書館かどこかで過ごすことになる。この貧しいスペース問題ではさぞや彼らの不満が鬱積し、対応が大変になると覚悟していたが、問題はまったく生じなかった。日本でもそうであるが、学者同士あまり国内では会う機会がないように、彼らもタイでは忙しすぎて互いにゆっくりと話す機会はない。こうした雑居部屋にいれられ、学生気分よろしく、インターネットをチェックしながら雑談を交わす一、二週間は相当ユニークで意義深いらしい。

センターの他のプログラムとの組み合わせでより有効に

センターで拠点大学プロジェクトを運営するには利点になるポイントが多い。ひとつはバンコク連絡事務所の存在である。事務所では年に少なくとも一度は拠点関係者を中心に親睦会を兼ねたパーティを開催している。こうして拠点関係者と親交を深め、そこの図書室も開放し、将来的にはインターネット会議を頻繁に開催し、共同研究の質を高めようと計画している。実際、この3年間に阿部が半年滞在、白石が3か月滞在して、タイの研究者と頻繁に会い、拠点プロジェクトの推進に貢献した。
センターにはまた外国人客員のポストが七つあり、それを有効に活用しはじめている。若手で有望な拠点研究者を半年間招聘し、研究を深めてもらっている。シンガポール大学からは同大学に割り当てられた日本学術振興会のポストで3か月研究者が滞在したこともある。このプロジェクトに密接に関係したタイ人の政府奨学生もこの秋学期から研究生としてセンターにくるが、これも人材育成を拠点大学間で行う試みとして注目される。

第3国の参加とアジアの研究協力への抱負(結論に代えて)

当初から、アジア共通の研究テーマを設け、積極的にタイ以外の研究者の参加を募り、かつ日本人研究者もタイ以外のASEANを調査してきた。エピソードばかりを書いて、実際の研究成果については、何も書かなかったが、最初スタートした二つのプロジェクト、すなわち、「ヘゲモニーの構造変化(ネットワークの比較史)」、「知的ヘゲモニーの構造、テクノクラシー」は、その最終報告書、濱下・白石編著、Hegemony, Technocracy, Networks(2003、pp. 1-500)で結実した。多くのプロジェクト参加者が3年間、研究交流を情報交換、収集、現地調査という形で実践し、2002年3月の京都での国際会議で発表した論文をもとにまとめたものである。ひとつひとつの論文がどう新しく、どのような研究交流のもとにできあがってきたかは別の機会に書くこととして、こうした大きなテーマのもと、どのような研究結果が出てきたかの一例だけをあげておきたい。テクノクラシーについて、末廣東大教授がタイについて一次資料を駆使して、"Who Manages and Who Damages the Thai Economy? The Technocracy, the Four Agency System, and Dr. Puey's Network"を発表した。鳥居明治大学教授が"Mahathir's Development Policies and Implementation Mechanism"においてマレーシアの事例を、フィリピン大学タデム教授が"The Philippine Technocracy and U.S.‐led Capitalism"でフィリピンの事例を詳しく分析した。論文のタイトルが示すとおり、各国の事例が比較検討可能なように説明されていて、ルースな構造で計画実践されたプロジェクトであるが、アジアに共通の課題としてテクノクラシーがあることをまさに浮き彫りにした。
同様の運営を、現行の「国家・市場・社会・地域統合のロジックとアジア経済」、「中産階級の研究-東アジアにおいてマスとして成立した中産階級の擡頭はどのような政治・経済・社会・文化的意義をもっているのか」、「東南アジアにおける社会的流動(フロー)に関する動態的研究」の三つの共同研究でも実行に移しているが、平成15年度からは基本的にマルチのプロジェクトとなったことから、よりダイナミックに他のアジア諸国を巻き込めるようになった。アジアが今後解決を必要とする問題に取り組んでゆくための糸口をみつける共同研究をアジア各国を巻き込んで実施することは大いに意義深い。