日本学術振興会

先端科学シンポジウム

FoS Alumni Messages No.5

「FoSに育てられた10年」

掛川武 東北大学大学院理学研究科地学専攻教授

掛川 武

東北大学
大学院理学研究科地学専攻教授

FoS参加歴:
1st JGFoS スピーカー
3rd JGFoS PGM主査
4th JGFoS PGM主査
2008年より FoS事業委員会JGFoS専門委員


   私は2004年にドイツで開催された第一回日独先端科学シンポジウム(JGFoS)に招待された。地球科学セッションのスピーカーとしてであった。JGFoSでは、セッションの順番などいわゆるプログラムは現地に行かないと分からない仕組みになっている。シンポジウム会場に到着した後にプログラムが公表され、地球科学セッションが一番始めにセットされていることを知った。私はなんとJGFoSの口火をきる最初のスピーカーになってしまった。「専門用語を使わず」「分野外の研究者にも理解でき」「最先端の研究内容を」話せという難しい注文がPGMやJSPS側から言われていた。シンポジウム当日を迎え、自分の講演を終えた。うまく伝わったかなと余韻に浸る暇もなく討論の時間になった。すると分野外の研究者から予想もしなかった質問が次々に出てきた。コーヒーブレークの時間にも面識のない研究者が寄ってきて、質問してきた。専門外の人に向かって講演するのも、質問を受け答えするのも非常に創造的で「面白い!」と思った。その後のJGFoSでPGMおよびPGM主査となり、JGFoSに何回か参加する機会が与えられた。毎回、最先端の科学に触れられる喜びは何とも言えなかった。それ以上に、自分と同じ世代の研究者が頑張っていること、自分とは異なる分野に国際的スーパースターがいることを知り、とても新鮮で刺激的であった。

   PGM にとってセッションのテーマおよび講演者選定は重要な仕事である。自分の専門の学会と同じようなテーマ設定や、講演者構成では、FoSの参加者をしらけさせてしまう。その分野の最先端の研究課題を選び、参加者を十分に刺激でき、議論が活発に行われる講演者構成をPGMは考えなければならない。私が企画したセッションで一番印象に残っているのは第四回JGFoSの「Early Life」というセッションである。ドイツ側PGMと協力し、生物学、地球化学、地質学と異なる分野のスピーカーに「Early Life」を話していただいた。分野を超えて議論できること、その議論の中には新しい研究課題がゴロゴロころがっていること、などのメッセージ(というか魂)をこのプログラムの中に込めたつもりであった。おかげさまでセッション自身も盛り上がり、非常に有意義な時間を過ごせた。そうした仕事を進める中で、当時のJSPS監事の先生に「FoSを通して育ってほしい」と言われたことがある。「シンポジウムを通して育つとは?」と当時は疑問に思ったが、今はその意味が非常に良く分かる。私の専門は地球科学であるが、生物学、化学分野の研究者と共同研究を行ってきている。こうした共同研究を推進させた駆動力は、FoSを介して知り得た異分野交流の面白さと新しさである。まさに私の研究も人格もFoSに育てられたと言っても過言でない。JSPSのFoSは異分野交流の種もあちこちに蒔いている。東北大学の理学研究科では年度末に、物理学、化学、地球科学専攻などに属する大学院生による共同研究集会を行っている。数年前にこの企画がスタートした時に、私は初代実行委員長であった。その時にFoSの東北大バージョンを作りたいと思い、講演スタイルなどを設計した。今でもこの企画は継続している。FoSの種が東北大学で開花した事例である。

   2011年10月に開かれた第八回JGFoSは私にとって忘れられないものになった。私はJSPSの専門委員としてこのシンポジウムに参加していた。東日本大震災の七ヶ月後に東京で開かれたFoSである。私は2011年3月11日に仙台で被災した。震災直後、ドイツのJGFoS関係者から心配やお見舞いのメールが多数送られてきた。まだ余震が続き、原発事故の影響が計り知れない状態の中、JGFoSの東京開催はどうなるかと思った。しかし病気で出席できなくなった方を除き、ドイツ側は予定していた全員が参加した。JGFoSを介して日本の事を心配し応援してくれたドイツ側の研究者には今でも深く感謝し励まされている。JGFoSが科学の面でなく、日本人とドイツ人の友情を育む場ともなっている事例であろう。2013年秋に第十回日独先端科学シンポジウムが京都で開催された。私は最初のFoSから「もう10年経ったか」とセンチメンタルになっていた。個人的には10年の間にJGFoSもかなり成長し、過去のPGMの先生方の熱意が引き継がれ、JGFoS自身が熟成の時期に入ったのではと感じている。次の10年の間に日独学術交流のシンボル的な存在になるであろうと期待している。

   FoSは成熟し経済的に余裕のある社会でのみ行える贅沢な会議である。ヨーロッパなどの大学では学問分野を超えた「談話会(サロン)」が日常的に開かれ、異分野交流が活発である。日本で異分野のトップレベルの研究者が介して談話会が定期的に開かれることはほとんどなく、FoSは貴重な場であるといえる。FoSの成果は、決して数値化し評価できるものでない。しかし、科学の歴史を見てみると、FoSのような研究者間交流は、個人個人の研究を刺激し活性化させ新しい学問を生んできている。日本学術振興会が行うFoS事業は、日本独自の「サロン」であり、日本発の科学を生み出す基盤となると信じている。

セッション紹介をされる掛川PGM (当時)
ハイデルベルグ市エクスカーションにて(中央)
【2006年第三回JGFoS 左:セッション紹介をされる掛川PGM (当時)、右:ハイデルベルグ市エクスカーションにて(中央)】
2007年第四回JGFoS 掛川PGM(当時)
【2007年第四回JGFoS 掛川PGM(当時)】