日本-欧州先端科学セミナー

開催実績

セミナー開催報告


1. 日本-欧州先端科学セミナー事前オリエンテーション

10月24日(金)
16:00~ 事前オリエンテーション(於:東条会館)

(中井助教授)  

出席者
日本側参加者全員20名
日本側講師:中井 健太(東京大学医科学研究所 助教授)

議事
10月24日(金)の午後4時から,東条会館において,日本-欧州先端科学セミナーの 事前オリエンテーションが行われた。参加者の顔合わせと,本セミナーに参加するにあたって 説明会を行うことが趣旨である。中西理事による開式の辞に続いて, 古川課長が本セミナーの説明を行った。その後,本セミナーの講師の一人である 東京大学医科学研究所の中井助教授が,参加者に期待することについて講演を行った。 明治時代の国費留学生のことなどを引き合いに出し,参加者の自覚を促すような話の後で, 参加者全員の自己紹介・研究紹介,コーヒーブレイクをとり,日本人参加者同士の交流が 深まった。オリエンテーション終了後,一同,東条会館よりバスで成田へ向かい,夜行便にて 出発した。

2. 日本-欧州先端科学セミナー

日時:平成15年10月26日(日)~31日(金)
場所:スペイン・サンフェリュー ホテル「エデン・ロック」


概要
スペイン・サンフェリュー(バルセロナから約120キロ北)において、 「ゲノム機能-ゲノム機能解析の実験現場からバイオインフォマティックスまで」 (Functional Genomics- from the bench to bioinformatics)を主題とした、 第1回日本-欧州先端科学セミナーが開催された。本セミナーは日本学術振興会と 欧州科学財団(European Science Foundation-ESF)が主催し、東大医科研の協力と カタロニア政府の支援の下に、開催された。

10月26日(日)
9:30~ Young researchers programme(於:ホテル会議場)

(宮野教授) (Prof. VON HEIJNE)  

コーチェアの宮野教授,Von Heijne教授の司会により,インフォーマルな形で参加者の 自己紹介が行われた。各自OHPにプロフィールを用意しており,それを使いながら和やかに 進んだ。OHPはコピーされ,後に希望者に配布された。Heijne教授の提案で,食事のときに 日本人,欧州人同士で固まらないルールが定められた。

10月27日(月)
8:15~ 日欧先端科学セミナー開会式(於:ホテル会議場)


セミナーの開始に先立って開会式が行われた。ESFからは現理事長のBanda教授と次期理事長の Andersson教授が,本会からは欠席した吉川元会長に代わって中西理事が挨拶した。
両機関とも日欧の第一回セミナーに大きな期待を寄せていることが述べられた。

10月29日(水)
20:00~ Conference Dinner(於:ホテル・レストラン)

(Prof. VON HEIJNE)  

29日のディナー後には,コーチェアからポスターセッションの日欧優秀者各一名に賞品が 授与され,宮野教授によるESF-JSPSのロゴをデコレートしたケーキの入刀やフラメンコショー などのイベントが用意された。

セミナーでは、この分野で世界的に著名な研究者を講師として招き、日本から日本側コーチェア である東大医科研・宮野悟教授を始めとして、この分野では夢の競演とも言える理化研・遺伝子構造・ 機能グループ・プロジェクトディレクター林崎良英教授と東大医科研・中村祐輔教授ほか計7名、 また欧州からは、欧州側コーチェアのDr. Gunnar von Heijne(Professor, Dept. of Biochemistry and Biophysics, Stockholm University:ノーベル化学賞選考委員)を始めとしてスペイン、フランス、 ドイツ、イギリス、デンマーク、スウェーデンの各国から計14名が招かれ、厳しい選抜によって 選考された優秀な欧州若手研究者30名と日本人若手研究者20名が参加し、両コーチェアの 友好的な進行のもとに非常に有意義な講義とそれによる活発な質疑応答、討論が展開された。

参加者からは、同じトピックで2年に1回継続して開催してほしいという要望や、 今回の若手参加者の中から将来、講師として参加できるよう次につなげていけるよう 努力していきたいという将来に向けた力強い声が寄せられた。日本側講師からは、 ヨーロッパのどこかの1国だけでなく、ヨーロッパ全域を網羅する多国間セミナーは 意義深いという意見が多数寄せられた。また、お互いの研究を深く知り合い、親睦を深める 非常に良い機会であったと感謝の声が多数寄せられ、将来の日欧間若手研究者の人脈形成の 基盤となり,今後の日欧間の新たな協力の始まりを期待させるものであった。